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第37話 ヴォーカル

 マコがマイクを取り戻そうと伸ばす腕を器用にヒョイヒョイと躱しながらなのにも関わらず、正史郎……いや、オーナーって言ったな。正史郎『さん』と呼ぶべきか。正史郎さんは、リズムもメロディも外さない。こんなに上手い奴が側にいて、何で言わないんだ、マコの奴……。 「ちょっと良いか」  わあわあと正史郎さんにたかるマコの頭を押しやって退かし、俺は正史郎さんと視線を合わせた。冷静な眼差しで、歌うのをやめ、俺の頭の先から爪先までを値踏む。正装してる訳じゃなし、その目は俺の本質そのものを見透かしているような気がして、少し項が薄ら寒くなった。 「海堂真一です。こっちは、」 「高橋健吾です! よろしくお願いします、正史郎先輩!」 「先輩? 確かに私は貴方にとって人生の先輩ではありますが、そう呼ばれる接点はありません」 「マコ! カラオケの音量ゼロにしろ」 「まっ、セイはともかく、何でアンタが命令するのよ」  完全に一人かやの外に置かれ、マコは唇をへの字に曲げていた。代わりに、後ろからサッと京がリモコンを操作した。ナイスだ、京。室内にシン……と静寂が落ちた。 「正史郎さん?」 「はい。御堂正史郎と申します」 「単刀直入に言う」  俺たちの視線は、さっきから合いっぱなしだった。 「……俺たちのバンドで、ヴォーカルやりませんか?」 「おことわ」 「ナァァァイスッ、真一! あたし、セイの歌なんて聞いた事なかったから、思い付かなかったわ、それ!」  マコが両手を握り合わせてキャッと跳ねた。 「おことわ」 「セイなら絶対人気出るわ!」 「おことわ」 「あぁん、でもあたしだけのセイじゃなくなっちゃうのが、ちょっと妬けるけど」 「「シャラップ!」」 「へ?」  ずっと視線を合わせたままだった俺たちはそのまま、マコに顎だけを向けた。 「ちょっと黙れ。話がややこしくなる」 「あぁん、いけず~」  それを聞いた正史郎さんは、ようやく視線を足元に下ろし、一つ瞑目すると深く溜め息を()いた。黒渕眼鏡を神経質に押し上げる。 「……分かりましたか? 私は『アレ』に関わりたくないんです」 「そこを何とか! 俺たちが組めば、天下狙えるっスよ!」  健吾が横に並んで、拝み倒す。マコがネックになるとは思わなかった……。 「お断りします」  キッパリそう言って、マイクをテーブルに置く。やっぱり視線は絡んだまま。 「……あ、あの!」  一触即発にも似た空気を裂いて、凛とした声音が上がった。 「京?」 「オーナー! 俺たち、真面目に音楽やってるんです! オーナーが入ってくれたら、本当にデビュー……出来る……かも……」  勇気を出したのは良いが、途中から自信がなくなってきたらしく、京は尻窄みに見上げていた顎を引いた。だが、仕事熱心な京のこの言葉は、思いがけず正史郎さんの心を動かしたようだ。 「佐伯くん……? 貴方もですか。一体、何の宴会です」 「俺たち、バンド組んで、ヴォーカル探してたんです。オーナー、上手いから……!」  京のその言葉尻に、ピクリと正史郎さんの細い眉が動いた。これは、イケるかもしれねぇ……! よくやった、京! 「そうなんです。正史郎さん、アンタ以上に上手いヴォーカルは望めねぇ」  再び、ピリリと眉が反応する。健吾に目配せすると、ウインクが返ってきた。 「正史郎先輩! 俺たち、先輩なしじゃ成立しないくらい上手いんス!」  『上手い』の言葉に悪い気はしてないのは明らかだったが、正史郎さんはそれを隠すように三度(みたび)眼鏡を押し上げた。 「……考えておきます」  大声を上げそうになるマコの口を押さえつけ、京、健吾と共に心の中で歓声を開放した。 (イエス!!)

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