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第39話 路上ライヴ

 健吾にだけは、計画を話しておいた。それを聞くとヤツは乗り気で、バイトを休んで来るという。この一度のチャンスに、ヤツも賭ける価値があると思ったようだ。  車のトランクに、スピーカーなどの機材を積み込む。ドラムセットは、健吾が知り合いから車を借りて運んでくる手筈になった。準備は完璧。後は、正史郎さんを呼び出すばかりになった。敢えて何も知らない京でワンクッションおいて、正史郎さんに待ち合わせ場所を伝える。  約束の五時は、あっという間にやってきた。健吾が、人当たりの良さを発揮して、主に若い女を集めている。あそこまでいくと一種の才能だな、と俺は半ば感心していた。  朝番の終わった京、夜番まで時間のあるマコ、そして正史郎さんが、三人揃ってやってきた。マコが真っ先に大声を上げる。 「はぁーい、真一!」 「おう」  すぐに異変を感じ取ったのが正史郎さん、僅かに遅れて京が言った。 「どうしたんですか。練習は、スタジオでやるのでは」 「真一まさか……」 「あら、いきなりデビュー?」  マコだけが、楽しそうにキャッと跳ねた。  待ち合わせ場所の噴水広場には、全ての楽器がきっちり揃い、健吾が集めた二十人ほどの観客が俺たちを期待の眼差しで見詰め、ライヴの開始を待っていた。正史郎さんが歌わなければ、ライヴは成立しない。果たして……? 「すみません。スタジオ、いっぱいで取れなくて。ここなら、よくミニライヴやってるし無料(ただ)で使えるんで」  正史郎さんと対峙している俺の後ろで、健吾が京とマコに持ち場につくよう促す。 「カンペ持ちながらで良いんで、歌って貰えませんか」  意外な返事が返ってくる。正史郎さんは、きっちりと眼鏡を押し上げた。 「いいえ。歌詞なら、頭に入っています。……仕方がありませんね、良いでしょう」  歌詞を渡したのは三曲だ。ここまで自信を持って覚えていると言うのなら、余程時間をかけたに違いない。興味がある証拠だ。いける。 「じゃ、あそこに」  と、中央のスタンドマイクを指差し、俺もベースを提げた。観客たちは早くも、誰が一番格好良いか、などと囁き交わしている。健吾が一つ、ドラムを打ち鳴らすとMCが始まった。 「ハーイ! 仔猫ちゃんたち、お待たせ! 俺たちのデビューライヴへようこそ!」  アンプを通して、皆が出鱈目に音合わせを始める。俺が初めてライヴをやったのもここだった。正史郎さんは知らないだろうが、この噴水広場は、何組ものスターを輩出している、バンドマンの聖地とも言うべき場所だった。仕事帰りの人波も、チラホラ足を止めて観客は増えていく。 「俺たち絶対ビッグになるから、覚えておいてね! WANTED with rewardのデビューライヴ、観ないと損するよお兄さーん!」  『WANTED with reward』というのは俺と健吾で決めたバンド名で、『賞金首』という意味だった。また一つ、ドラムのテクニックを披露する。連鎖反応的に、人垣が膨らんでいった。  沢山の観客を目の前にして、ライヴではなく只の練習をするつもりだった正史郎さんが、観客を煽る健吾に口を挟もうとするが、健吾は余地を与えず演奏に移った。 「記念すべき一曲目は……『エゴイスティック・ジャンキー』!」  イントロの演奏が始まる。背後のドラムセットの健吾に顔を巡らせていた正史郎さんは、眉間に皺を刻んで俺たちを見回した。皆、きっちりと自分の役割をこなしている。このライヴが成功するかどうかは、あと八小節後、正史郎さんが歌うか否かにかかっていた。あと四小節。正史郎さんが、正面を向いた。  エゴイストな君に  一握りの嘘を投げつけてcry──。  正史郎さんは、言葉通りカンペも見ずに歌い出した。俺と他のメンバーたちは、目配せをして口角を上げる。成功だ。パーツの揃ったジグソーパズルのように、俺たち五人、一人一人の演奏と歌がしっくりと噛み合っていた。観客が肩を揺らしてノッているのが分かる。  正史郎さんが一曲目を歌い終わると、MCは饒舌な健吾が引き受けた。百人強の観客を前に、正史郎さんはもう腹をくくったようで、生真面目に立って眼鏡を押し上げていた。健吾はMCの経験が豊富で、客をイジッては盛り上げる。最初から待っていた若い女たちは、すっかり健吾のペースにハマって笑っていた。  三曲を歌い終わる頃には、アドリブで演奏を長引かせ、観客たちに「yeah!」と応酬させるほど心を開かせていた。それぞれが楽器をかき鳴らし、正史郎さんの合図で演奏を終える。それは、よくバンドマンがするようなジャンプなどではなく、オーケストラの指揮者がするような掌を振り上げ握るサインだったが。在り来たりじゃなく、かえってオリジナリティがあって良いかもしれない。  一瞬の静寂の後、拍手と黄色い歓声が上がった。口々に、感想やCDの問い合わせ、中にはサインや握手を求める観客もいた。健吾がマイクを通して締める。 「ありがとう! 俺たちWANTED with rewardは今日結成したばかりだから、まだCDはありません! でも聞いて貰った通りだから、すぐに武道館埋めるぜ! 覚えておいてくれ、WANTED with reward!」  最後にメンバーのパートと名前を紹介し、にわかファンたちと少し話して、初めてのライヴはお開きとなった。  機材を、回してきた車のトランクに乗せていると、正史郎さんがコツコツと固い靴音を立てて近付いてきた。さて、何と言われるか? 「海堂くん。最初から、ライヴをするつもりでしたね」  先程までノッていた歌声とは打って変わって、冷静な声音は、何を思っての言葉か窺いしれない。ライヴは成功したんだ。俺は、正直に打ち明けた。 「はい。正史郎さんに歌って貰いたかったんで」 「最高でしたよ、正史郎先輩! 立ち止まった中で、途中で帰った人居なかったっス! 先輩の歌のおかげです」  共犯者とも言える健吾が、正史郎さんを持ち上げる。いや、世辞ではなく、それは事実だった。ポップス、スローバラード、ハードロックの三曲を渡したのだが、どれも見事に歌いこなしていた。たぐい稀な喉の持ち主と言っても過言ではないかもしれない。 「全く……私が歌わなかったら、一体どうするつもりだったんですか」 「あんたなら歌うと思ったんだ。改めてよろしく、我らがヴォーカル、正史郎さん」  手を差し出す。他のメンバーは、固唾を飲んで見守っていた。一週間前のように、切れ長の鋭い視線と目が合った。沈黙の五秒が、永遠にも思われる。淡々と、正史郎さんは語り出した。 「私には、貴方がたのバンドに加わるメリットがありません。店のバイト人員を減らしますし、名声にも興味はありません。なにより、『アレ』がついてきますし」  と、マコに顎を向ける。 「セイ、あたし、バンドの為なら大人しくするわ!」  マコが、らしくなく真剣な表情を見せる。俺の手は中空に伸ばされたままだった。変わらず正史郎さんの視線は刺さっている。 「……本当に、馬鹿げた事を思い付いたものです」  ここで一旦、眼鏡を上げた。 「人前で歌い賞賛される喜びを、堅物と言われるこの私に味合わせるなんて」  スッと掌が差し出され、それが行き場をなくしていた俺の掌を握った。 「よろしくお願いします。ただし、売れるまでバイトには入って貰いますよ。欠勤も許しません」  見守っていた他のメンバーから、小さな歓声が上がった。一夜限りではなく、これで正真正銘、今日が俺たちWANTED with rewardのデビューとなったのだった。

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