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第3話
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「あーーーー、くそ、死にてぇーー…」
目が覚めたら廊下に横たわっていた。乱れた服も出したものもそのままで、ベッドのシーツとともに転がされている。
体は気怠く、出したものがベタベタして気持ちが悪い。だが、起き上がる気にはなれなかった。
まだ夜明けは先なのだろう、廊下は真っ暗だ。仰向けになってぼんやりと天井を眺める。
「あーーー、ちくしょう、殺してぇーー…」
すぐそばにあるルッツの部屋の扉を睨み、足で蹴ってやる。何の反応もない。
「クソが…こんなんでいい気になるなよ…」
負け犬の遠吠えは虚しく消える。ゆっくりと立ち上がり、シーツを持ってのろのろと立ち去った。
「どーすっかなぁ…」
すっかり夜が明け、皮肉なほど太陽が輝いている。体は正直で、出すものを出して心地の良い倦怠感に包まれながらぐっすり眠りこけていた。だが、それでいいわけがない。フィルは屋敷の外の森で煙草を吸いながらルッツへの対策を考えていた。
「あ! フィルさまだ! そこに居たらあぶないですよぉーっ」
「……あ?」
ふと、間の抜けた声が飛んでくる。見ると、向こうから膝より上のスカート丈のメイド服を着た少女が手を振りながら駆けてきた。オルグレン家に仕えるメイドのひとり、ニナ・ロベルティである。
走ると短いスカートがめくり上がり白い下着がチラチラ見えるが、年齢対象外の彼女にはそもそも何も反応しない。ウェーブのかかった茶色のショートヘアを揺らしながらやって来るニナはいつものように満面の笑みである。
「いま訓練中で…ーーいたっ!」
「……?!」
パシッと、乾いた音がしたと思うとフィルの体に血が飛び散ってくる。こちらに駆け寄ってきたニナの肩が撃たれたのだと瞬時に分かった。
ーー…撃たれた?
「ああー…こめんなさい、汚しちゃった…。で、そこか!」
ヘラヘラ笑いながらも、ニナは獲物を狩る獣のような鋭い眼光で後ろの木を振り返る。そして手に持っているナイフを勢いよく投げた。
「…鈍いな」
ナイフが消えた先、木の上から飛び降りてきたのは彼女の兄であり同じくオルグレン家に仕える執事のニノ・ロベルティだ。妹と同じ茶色の癖っ毛で、前髪を伸ばしているせいでいつも表情が読みづらい。対照的に物静かな青年である。
背中には黒光りするスナイパーライフルを抱えており、あれで妹を撃ったのだと嫌でもわかる。
「ニノくんまで何やってんの…」
「ああ、フィルさま。すみません、愚妹の血で汚してしまいましたね」
前髪の隙間から申し訳なさそうな瞳が見える。年が1番近そうということから、このニノだけは他の者より好印象を抱いていたのだがそれも既に消えかけてきた。
「いま訓練中なんです! フィルさまもやりますか? ぼくもう3回死にかけてますけど、あはは」
そう言って笑うニナの体は確かに血や泥で汚れている。だが、傷はない。撃たれた肩も出血はすでに止まっていた。
そのことに対してフィルが驚くことはない。ヴァンパイアに忠誠を誓う者はその対価として力を与えられる。眷属である彼らは普通の人間よりも年をとるスピードがはるかに遅れ、そしてある程度の傷を負っても再生能力が働いて簡単に死ぬことはない。
彼らも、そしてフィルもまた、そうした力を持っているのである。だが、この兄妹にとっては元が普通の人間とは違う。翼の生えたヒト、鳥人族の数少ない生き残り、だとフィルは聞いている。
「やんないよ。てか、毎日それやってんの? クソ意味分かんねーんだけど」
「や、毎日はしないです。月一くらいですかねぇ。ぼくたち昔からこーゆー生活してたので、やらないと鈍りそうなんですよね」
「あっそ」
フィルにとって他人の生い立ちや素性などはこれっぽっちの興味もわかない。血で服を汚されたことの腹立たしさを紛らわすように煙を肺いっぱい吸う。
だが、丸い目をキラキラさせて見つめてくるニナの視線が落ち着かなくて、彼は思い切り眉根を寄せた。
「なんだよ」
「いいえ! フィルさま、前髪おろしてる方が怖くなくていいですね! ちっさくなったからなんだか可愛いくて好きです!」
「っせーな、次それ言ったらぶっ殺すかんな」
「あはは、声も高ーい」
こんな少女にムキになるのも情けないとは思いつつも、青筋が浮き出るのを抑えることは出来なかった。
いつもはオールバックにしている前髪だが、この姿では背伸びしたガキンチョにしか見えず、仕方なく今のスタイルで我慢しているのだ。
「ニナ、無駄口たたく暇はないだろ。さっさと元の位置に戻れ」
「あ、はぁい。ごめんなさい」
兄の脅すような低い声にニナは苦笑し、背を向けて駆け出す。残ったニノはフィルに向かって深々と頭を下げた。
「大変失礼致しました、フィルさま。お許しを」
「別にいいけど。ほんとのことだし。…あ、じゃあお詫びと言っちゃなんだけど、あのクソ忌々しいルッツ・シュナイダーの苦手なものとか教えてくれたら嬉しいんだけど」
「ルッツさまの苦手なもの…ですか。申し訳ありませんが、すぐには思いつきませんね」
だよね、と、フィルは鼻で笑う。そもそもあの男に苦手とか好きだとかそういう感情があるとは思えない。
「ただ…アリスさまが危険に晒されるようなことに関しては非常に難色を示されていたことはありましたね。あのお方にとってとても大事な存在なのでしょう。しかし、なぜそんなことを尋ねるのです?」
「いや、別に深い意味はないけど…。ありがとう、今後の参考にする」
「…? よく分かりませんが、参考になるようなことだったなら幸いです。では、おれは戻りますね」
優しい微笑みを浮かべ、ニノは去って行く。背を向けるとスナイパーライフルが嫌でも目に入ってきてげんなりする。
「…ロリコン、とか?」
ぽつりと呟いてみて、フィルは笑う。あのルッツ・シュナイダーに少女趣味があるとは思えない。
だが、アリスに対しては何かしら特別な思いがあるのは確かなようだ。
「とはいえ、あんなガキを使ってどうこうするのもな…」
対策が全く浮かばず、フィルは大きなため息をついた。その向こうでは鳥人兄妹がまた訓練を開始したようだった。
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