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月夜の湖 3

「丈の中将……そこにいるのか」  御簾越しに、ずっと聞きたかった洋月の君の涼やかな声が響いてくる。 「洋月の君が何故ここに?」 「どこか加減が悪いのか?妹君が大層心配していたよ」  心配そうな眼差しで私のことを見つめる洋月の君の美しい顔から、目が離せない。形の良い唇が桜色の艶めきを放ち動いているのをみると、込み上げてくる欲望を抑えるのが辛く、胸が高鳴り息が荒くなっていく。今すぐにでもこの御簾を上げ、洋月の君をこの胸に抱きしめ……そして先日の続きを。だが、その気持ちをぐっと我慢した。  どんなに思いを巡らせても、同性でもあり、義理の弟でもある洋月の君を懸想すること自体、この世の道から外れたことだ。この美しく穢れなき顔を持つ洋月の君を巻き込む訳にはいかない。ここ数日……このことで悶々と過ごし思い悩んできた。  だが思いがけずその答えを先ほど宮中で出すことができた。それは洋月の君にそっくりだという月夜姫の存在だ。洋月の君を私が想うのは彼を苦しめるだけで、何も生み出さない。だからちゃんと女を愛していかなくてはいけない。ならば今は洋月の君に似ているという月夜姫に会ってみたい。そうすればこの気持ちに決着をつけられる気がする。だから私は意を決してこう伝えた。 「洋月の君……もうここには来るな。正直に言うと君とはもう距離を置きたい。先日のことは詫びる。あれは一時の気の迷いだ。どうかもう忘れてくれないか」 「……何故……急に」  洋月の君は唖然とした表情でしばらく固まり、それから悲し気に目を伏せ、何も言わずに帰ってしまった。寂し気な後ろ姿に、思わず呼び止め抱きしめたい葛藤にかられた。それに彼の漆黒の黒目が滲んでいたような気がした。不安定な心情が苦しくて……胸が痛くて溜まらない。 ****  丈の中将からの決別の言葉が、胸を突き刺し、頭の中を駆け巡った。  あぁそうさ、分かっていたことだ!ここ数日覚悟していたことだ!  あの人の心は……俺には向いていない。  あの日一瞬掴みかけたあの人の心は、もう離れてしまったのか。  今宵は満月だ。いずれにせよ俺はもう行かねばならぬ。  牡丹のもとへ── **** 「どうした?今日は表情が硬いぞ?」    両手を頭上で押さえつけられ、つながったまま激しく揺さぶられている俺に牡丹が尋ねた。 「……」    俺は顔を横に背け何も答えない。いや…答えたくない。ただ先ほどの丈の中将の冷たい態度が胸に突き刺さり、牡丹に抱かれながらも、むなしく、やり場のない気持ちを抑えられないでいた。  牡丹は俺の頬を撫でながら囁く。 「ふっふっ……可哀想な洋月よ。お前は父に抱かれ、こんなに滅茶苦茶にされて気の毒だな。そういえばお前の女装姿が噂になっているのを知っているか。『月夜姫』と囁かれているぞ。どうだ?絶世の美女とな……どうだ、もういっそこのまま洋月という名を捨て『女御』として私のもとで常に暮さぬか」  そのまま牡丹は横を向いていた俺の顎をひき、口を奪い貪り食らう。息が苦しくなるほどに深い口づけ。だが何も感じない口づけだ。ざらざらとした肉厚な舌に鳥肌が立つ。 「牡丹……それだけは……どうかそれだけはお許しください」  あの人から見放された今、俺にはもう何の希望もない。このまま牡丹に抱き潰されて朽ちていくのかもしれない。父でもある帝に抱かれ、女装までさせられ何も生まれない異常な営みに押しつぶされて、牡丹と共にこの世を去るのかもしれぬ運命なのか。だが……どうでもいいと思って投げやりに委ねた躰が奥底で反抗する。  やはり……このまま朽ちていくのは嫌だ!こんな穢れきった俺でも、一縷の望みを捨てきれない。この狂った世界から、あの人の穏やかで優しい眼差し温もりなら、俺を救いだしてくれるかもしれない。  そんな希望の光を捨てきれない、心の奥底の気持ちに気が付いてしまった。  諦められない──あの人のことを。丈の中将のことを。

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