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月夜の湖 6

「若様~牛車が整いましたので、姫様をこちらに再びお連れしていただけますか」  準備万端といった面持ちで従者から声を掛けられたので、私はぐっと手を握りしめ、湖にせり出した大きな樹の枝に腰かけ、月下で物思いに耽っている月夜姫に近寄った。  月夜姫の横顔が月明かりに照らされ、ぞっとするほど美しい。洋月の君の儚い横顔を彷彿させるその横顔に、つい見惚れてしまう。しかし今はその幻のことは頭を振って追い払い、月夜姫とのことに集中する。 「月夜姫……」  このまま何もせずに月夜姫と別れてしまえば次いつ逢えるか分からない。そう思うと、せめて次に逢う約束だけでもと思った。 「お願いです。どうかまたこの月夜の下で、私に逢っていただけないでしょうか。私はあなたともっと近づきたいのです」 「……!」  月夜姫は慌てて扇で顔を隠したが、頬をうっすら染め狼狽えるような表情を浮かべているのが扇の端から零れ落ちていた。本当にこの方は初々しい反応をなさる。今時珍しい……なんと素直で可愛らしい女子なのだろう。 「もちろん、あなたが帝から寵愛を受ける女御だということは存じております。洋月の君のお従妹にあたるのなら、私を義兄とでも思ってくれても良いです。私はあなたと少し語りたいだけです」 「……」  月夜姫は、今日出逢ったばかりの男からの突然のあからさまな誘いにたじろいでいるようだ。深窓の姫なのだな、この程度のことで、こんなに動揺されるとは。彼女はまだこの世に汚れておらず清らかだ。  何故帝の女御になってしまう前に、何故手をつけなかったのか。あの洋月の君とこんなにも姿形が似た女子がいるなんて知らなかったのを激しく後悔した。  しばらく沈黙の後、月夜姫から意を決した凛とした声で返答があった。 「お約束してください。私に絶対触れぬと。 もしそれを守ってくださるのなら、 また次の満月の夜に、この湖でお会いしましょう」 月夜姫は真っすぐに私のことを見つめ、緊張しながらもそう答えてくれた。  なんと!このお方は姿形ばかりだけでなく、その声までもが洋月とそっくりだ。洋月の声も男にしては優しく甘い声だったが……  再び洋月の君と面影が重なり、洋月の悲しげな眼差しが脳裏に浮かび、胸が苦しくなってしまった。洋月のあの柔らかい唇、きめ細かい白い肌。男とは思えない色香を漂わせたあの雰囲気。今すぐにでも抱きしめたいあの華奢な躰。抱けば白百合の如く高潔な甘美な香りを漂わせてくれた。あぁ駄目だ、こんなことでは。  男である洋月に私が懸想するなんて、洋月を傷つけてしまうだけではないか。しかも洋月は義理の弟だ、妹の婿だ。  だから私は洋月のことを忘れようと誓ったのではないか。  だから私は洋月のことを突き放したのに……なのに今だに心の奥に住み着いている、洋月への情が疼き出してしまう。  月夜姫が次の約束をしてくれて嬉しくてしょうがないのに、私も全くあさましい男だ。  ひどく心が乾いている──  私のこの乾いた心を潤わせてくれるのは月夜姫なのか。それとも洋月なのか。  本当に厄介な病にかかってしまった。

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