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遠く彼方へ 2
「重い……痛いっ!もう嫌だっ!」
逃れようと躰をどんなにばたつかしても、びくともしない重い塊が、俺の上にのしかかってくる。なんとかして逃れようと必死にもがくのに、雁字搦めにされてしまう。
冷汗をかきながら、はっと目が覚めた。
「あ……夢か」
額に浮かぶ冷たい汗を手で拭いながら、目を再び閉じてここ数日のことを考えてみた。
丈の中将との想いを遂げてからの数日間、俺は結局熱を出して寝込んでしまった。帝によって心も躰も滅茶苦茶に傷つけられていた俺は、すべての面において限界を超えていたのだろう。それが丈の中将に優しくされたことで、一気に気が緩んだのだ。だがそのことにほっとしていた。それを理由に宮中へ参内しなくても良かったから。
牡丹と顔を合わせたくない。
もう牡丹と二人きりで会いたくない。
二度と抱かれたくない。
立っていられない程の疲労を感じそのまま寝込んでしまい、熱もここ数日高く、ひとりでいるときは悪夢に追い回され休まる時がない。だが丈の中将が傍にいてくれるだけで、俺は安らぎの時間を得られた。ここ数年間感じたこともない安らぎに、ひたすら躰を預けていた。
もうすぐ……もうすぐあの人が帰ってくる。
眼を閉じ耳を澄ませば、足音が廊下に響いてくる。
参内を終えた丈の中将は左大臣の屋敷に帰宅すると、すぐに俺の部屋へやってくる。
愛しい人を待つ。
何もかも初めての体験で、床を踏み鳴らす足音にすら胸が高鳴ってしまう。まるで初めて恋をする女子のような心地がもどかしく……自分自身をどう扱っていけばよいのか、未だに戸惑っている。
「洋月、入ってもいいか」
「あ……お帰り……」
「おっ!今日はだいぶ顔色がいいな」
御簾の脇からひょいと顔を覗かせ、笑みを浮かべる丈の中将を見るだけで躰の奥がじんと痺れるよ。そのまま床に伏していた俺の横に歩み寄り、そっと額に手を当ててくれた。
「やっと熱も下がったみたいだ。良かったな」
「そう? ……もう……ずっと下がらなければ良いのに」
思わず心の底の声を漏らすと、丈の中将の表情が曇った。
「何故そんな不安なことを言う? 熱が下がらなければ君の躰が辛いだろう? 苦しいだろう?」
責めるような怪訝そうな顔で真っすぐに見つめられて、気まずく感じてまう。
「だが……そうなればずっとここで君を待っていられるから」
「馬鹿だな。洋月が元気になってくれないと困る」
「何故だ?」
「それは……君をまた抱きたいからだ。朝まで寝かさない程激しくね」
「なっ!」
言われたことの意味を理解すると同時に、耳たぶまで赤くなったのが自分でも分かる。丈の中将は物怖じしない素直でまっすぐな性格で、同性同士抱き合ったことにも、今は信じた道を歩んでいるという自信があるようで何も戸惑っていない。
潔い男で惚れ惚れする。
こういう人だから好きだ。こういう人だから躰を預けた。そう俺も確信する。
「あっ洋月、ご覧よ。庭に月見草の花が咲いている」
「月見草? 」
「知っているか」
「いや……」
十五歳で牡丹に抱かれるようになってから、そのような風流なことに細かく目を配る心の余裕がなくなっていた。何となく綺麗だ。何となく気持ちいい。何となく嫌だと……何となく過ごして来たここ数年。木々や花は俺の心を多少癒してくれたが、それを愛で誰かと共に語ろうなどという心の余裕はなかったと自嘲する。
「起きられるか」
「あぁ」
白い寝間着の単衣姿の俺の肩が冷えないように、そっと俺の背後に回り体温で抱きしめてくれる。そんなさりげない心遣いが心に染み入る。庭に目をやると月見草の淡い薄桜色の一重の花が風にゆらゆらと揺れていた。
「ご覧よ。とても綺麗だよ。一斉に咲き出しているな。月見草は夕方に開花して翌朝には萎んでしまうから、花名は月が現れる時間帯に咲くことに由来しているそうだ」
「月が照らす間のみの美しさか……」
「そうだ。人目を避けるように夕方にひっそりと咲く花、月が現れる時間に咲く花とは、まるで君のようだな」
「なっ……」
「月光に照らされた君はとてつもなく美しいよ、月夜姫の君も、あるがままの姿の君も、みんな私の想い人の君だから恥じることはない。美しいことは罪ではないよ」
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