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遠く彼方へ 5
どうしたらいい。牡丹からの呼び出しが来てしまった。帝の命令は絶対で逆らえない。
だが俺はもう二度と丈の中将以外の人には、抱かれたくない。
結局届いた文を開くことも出来ず、くしゃくしゃに丸めて直衣の袂に隠した。文に添えられた強烈な香り……俺を苦しめる牡丹の花は庭に投げ捨てた。
真っ赤な牡丹の花びらが血を吐くように庭に散っていくのを見て、吐き気が込み上げて来た。
十五歳の時に踏みにじられた純潔。それからの飼いならされた日々。全てが意のままではなかった。悔しい……どうしようもない悔しさが込み上げてくる。
明日、帝と決別しよう。
きちんと別れを告げよう。親子の情なんて、もともとなかったのだ。
宮中から追放されてもいい。丈の中将に抱かれた躰を守れるのなら、身分がどうなろうと構わない。
何もかも捨てて、ただ一人の人間として君と向かい合いたい。そう願う俺は欲張りなのだろうか、君に迷惑をかけることになるのに。
****
参内する前に、屋敷内の洋月の部屋に立ち寄ってみた。
洋月はすっかり躰の調子も戻ったらしく、淡紅藤色に月白色をあしらった清らかな文様の直衣を纏い、髪も綺麗に整え冠をつけ、しとやかな姿で御簾越しにぼんやりと庭を眺めていた。
頬の血色も戻ったな。顔に付けられた傷も癒え、いつもの美しい光る君と称えられる洋月の姿に戻っていることを確認でき、ほっと安堵した。
「洋月……本当に今日参内するのか。私も一緒に牛車に乗ろうか」
洋月はそんな申し出に意外そうな表情を浮かべた後、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「いいよ……君は午前中から内裏で歌詠みがあるのだろう? 大丈夫、俺と参内する時間がかなり違うから先に行ってくれ。後から君の所へ顔を出すよ。そして帰りは一緒に戻ろう」
「……何だか、心配だな」
「馬鹿だな。俺はもう大丈夫。一体何日床に臥せっていたと思う?ほら……傷もすっかり癒えただろう?」
「いや……そうじゃなくて…今日は帝に会うのか」
「……そうだね。会わないとならないだろう…」
「本当に大丈夫なのか」
「俺は帝と……決別するつもりだ」
真剣な表情でコクリと無言で頷く洋月の強い決心を感じ取り、それ以上その時は何も言えなかったし出来なかった。
まさか後に、この時の判断を後に激しく後悔することになろうとは。
時間を戻せるならば、この瞬間に戻りたい!
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