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遠く彼方へ 6

 丈の中将を送り出してから万が一の事を考え、簡単に身辺の整理をした。帝と対峙するのだから、もしかしたらここには戻って来られないかもしれない。  俺は今から覚悟の上の申し出をする。  帝と決別し、君の元へ行く。  そう決心したから。 **** 「洋月の君さま、牛車の支度が整いました」 「今行く」  もう一度、部屋を振り返った。  桔梗の上と婚姻してあてがわれた左大臣邸の一室は、居場所がなかった俺に初めて出来た貴重な空間だった。  御簾越しに見える左大臣邸の美しく整えられた中庭には、いつも季節の花が咲き乱れていた。そして常に甘美な花の香りが部屋にまで届き、俺を癒してくれた。  この部屋からは、空に浮かぶ月も幾度となく眺めた。桔梗の上との関係は劣悪だったが、丈の中将と紡いだ糸の絆は時と共に深まっていった。  この部屋で初めて君に抱きしめられた日を思い出すよ。突然の激しい口づけに心が震えた。  求められる喜び。  分け合う温もり。  会いたい気持ち。  共に寝る。  その本当の意味を学んだのも、すべてこの部屋だった。  また戻ってきたい、ここに。 **** 「いつもの従者ではないのか」 「申し訳ありません。急に具合が悪くなったので、私が代理です」 「……そう」  いつもと違う従者に軽い疑問を抱いたが、深く考えず牛車に乗り込んだ。  今から内裏に参内する。まず丈の中将が歌会をしている場所に顔を出して、それから帝のもとに伺う。  それから………  その先のことを考えると緊張で手が震えてくる。俺は果たして……丈の中将と共に無事にこの部屋に再び戻って来られるのだろうか。  怖い。  一人で刃向かうことの怖さを思い知る。だが丈の中将に迷惑をかけたくない。まず出来るところまで一人で踏ん張ってみるつもりだ。逆らうことが怖くて流され続けた己の身だが、やっと気が付いた。  今の境遇から抜け出さないといけない。  そのためには自分で立ち向かわねばならない。  ところが、ふと物見窓から外を見ると……宮中へ行く道と違うではないか。  何故?  目の前が真っ暗になる。  この牛車は一体どこへ向かっているのだ?  昨日届いた牡丹からの文を読んでいない事を、はっと思い出した。  直衣の袖に丸めて入れたままだったので、慌てて取り出して読んでみると……驚愕した! 「なんてことを……」  文を握りしめる手が大きく震え、絶望で胸の奥がぎゅっと潰されるような痛みを覚えた。

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