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月夜に沈む想い 2

 あれから何日も閉じ込められたままの俺。  恐らくもう二度と丈の中将には会えないのだろう。そう思うだけで胸がつぶれる想いだ。  生きる気力をなくし、幽閉された部屋でひたすらに時が過ぎていくのをやり過ごしていた。 「洋月殿、こちらへ」 「何?」  あの背の高い男が俺を呼ぶ。固く閉ざされていた扉が開き、半ば引きずられるように※風呂殿へ連れて行かれた。 ※風呂殿…貴族の屋敷内などにあった蒸気風呂。お湯を沸かし専用の密室内に湯気を入れ、蒸気が満ちてから入浴するもの。 「やっやめろ!」  あっという間に羞恥に震える暇もなく、小袖を一気に脱がされ、突き飛ばされるように全裸で風呂殿へ座らされてしまった。 「……」  何故このような仕打ちを受けねばならぬ。  このような扱いを……俺が……  裸のまま震えた。  唇をきゅっと噛みしめ俯いていると、背が高い男は手つきこそ乱暴だが、俺の躰を宝物に触れるかのように優しくお湯で流し、手拭いで拭き上げた。抵抗しても無駄だと分かっているので、もう抗わない。それよりも気になってしょうがないのが、身を清める意味だ。  ふと目が合った背が高い男に、思い切って問いかけてみた。  この男は最初から非常に冷酷だが、どこか捨てきれない情を持っているような気がするのだ。 「お前はこのようなことをして楽しいのか」 「……それは……楽しいはずはありませんが、帝の命令ですから」 「何故、今日俺を風呂殿へ?」 「今宵、帝がお呼びです。今から参内しますので、身をお清めに」 「なっ」  とうとう、やはりその時が来たようだ。  帝はこの山荘までやってくることは出来なかったのか。結局俺がまた囚人のように牛車に閉じ込められ、貢物の如く届けられるのか。 「ふっ」  人というものは、寂しい時にも笑えるのだな。  もう流され行きつく所まで、行くしかないのか。この身の果てる迄、牡丹と共に堕ちていくのか。  丈の中将とひと時でも結ばれたのが、俺にとって生涯で唯一の幸せだった。  寂しい笑顔を噛み殺し、俺は用意された真新しい小袖を身に纏った。  いっそもうあの世へ──  もうこの世にいたくない── ****  先ほどまで降り続けていた冷たい雨は、今はやんでいる。今宵は月のない闇夜だ。  身分を隠した鄙びた網代車で俺は運ばれていく。まるで帝に捧げられる生贄のように。  直衣も着せてもらえず、肌着姿のまま。  俺が逃げ出せないようにか……このような自尊心を傷つけるような方法で運ぶのは。  ふと閉ざされた物見窓の隙間から外に目をやると湖の湖畔を通り過ぎていた。  ここは、あの湖ではないか。丈の中将と触れ合った、月夜姫として和やかな時を過ごした湖畔だ。ほんの数か月前のことなのに、遠い遠い昔の出来事だ。  だが目を閉じれば鮮やかに蘇るよ。共に月を愛で和歌を詠み合い、たわいもない会話で過ごした夜を。そして丈の中将の逞しい腕の中を。  ガタンっ  その時急に牛車が横に傾いた。俺も牛車の中で肩を屋形に強打し、顔をしかめた。 「何事だ?」  辺りが一気に騒がしくなる。この感じ……前にも経験した。月夜姫として女装して参内している時にも轍に車輪がはまって湖の湖畔のせり出した木の枝のところまで、丈の中将に抱かれて連れて行ってもらった事がある。  もちろん今はそんな迎えは来ないことが分かっている。そんなことを思い出しながら、じっと痛みに耐えていると、あの背が高い男がぬぅっと顔を見せた。 「洋月の君、一度降りてください」 「分かった……」  小袖姿ではどこへも行けぬと思っているのだろう。でもこれは逃げる機会ではないだろうか。そう思うと心臓が跳ねだす。  降りてみると牛車が大きく左へ傾いていて、数人の随行が集まり、轍にはまった車輪をなんとかしようと必死だ。 「思ったより深いな。まずいな。時間に遅れるぞっ」 「おいっ!人手がいる。お前も手伝え!」  俺の傍らに立って見張っていた背が高い男も手伝いに呼ばれたので、少し戸惑いながら、ちらりと俺のことを振り返った。  そして小さな声で呟いた。 「……逃げるなら今です」  驚いたことに、そう呟いたのだ。これは罠か、それとも…… 「いいのか」 「逃げるといい……何処までも」 「何故……?君の名前は……」 「|海《かい》です。洋月の君、今まで無体なことをして申し訳ありません。私に出来ることはここまでです。あなたが行きたい所へどうぞお行きください」 「何故、俺を助ける?」 「私は親が罪を犯し、身分を落としましたが、元は丈の中将様の乳母の子供だったのです」 「えっ……」 「牢獄から…生き延びるために、私は帝の隠密の下人になり果てたのです。ですから命令に背くことは出来ませんでした。私に出来ることは、周りに気づかれない様にそっとあなたを逃がすことだけ。あとはあなたの力で生き延びてください。機会は一度のみです」 「なんてことだ」 「さぁ早く」 「ありがとう……」  それから俺は湖畔をひたすら走った。  月のない闇夜を、ただ闇雲に。  裸足の足が傷つこうと構わない。  出来るだけ遠く彼方へ、逃げよう!  しかしすぐに背後から随行達の大声が聴こえてくる。 「クソッ逃げたぞ!探せ!」 「あっちだ!」 「あの躰ではそう遠くへは行けぬ! 必ず捕らえろ!」  嫌だ……せっかく与えられた機会だ。  もう二度とないだろう。  捕らわれるわけにはいかない! 「あっ!」  草むらを闇雲に駆け抜けた時、ぬかるんだ道に足を滑らせてしまった  逸る気持ち、焦る気持ちがいけなかったのだろうか。  俺の躰は湖畔の街道から大きくバランスを崩して、そのまま宙に浮くように落下していった。  

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