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月夜に沈む想い 3

 宙に浮いた躰は誰にも抱きとめられることもなく、湖の冷たい水の中に落ちた。 「ゴホっ」  必死にもがくが、水に濡れた小袖が重しのように躰に纏わりつき、湖の底へどんどん引きずり込まれてしまう。  嫌だ!  こんなのは嫌だ! 「ゴホッゴホッ」  大量の水が口に流れるように入って来て、むせかえる。  もがけばもがくほど、沈みゆく躰。  息苦しさに霞む視界。  その時、沈まないように必死に動かした小袖の袂から、丈の中将と分かち合った月輪がすべり出てしまった。 「あっ……」  手を伸ばして掴もうとしても、もはや届かない。それは月光のように静かに輝きながら、沈みゆく俺の躰と反対に湖面へと浮かんで行ってしまった。  それが俺の眼に映った最期の光景だった。  湖の底へ底へ沈んで行く俺の躰。  もう視界はない。暗黒の世界だ。  遠のく意識の中、最後にもう一度だけ願わなくてはいられない。  叶わぬ夢だと知りながらも……  どうか時を戻してくれ。  れが叶わぬのなら、せめて月輪よ……丈の元へ辿り着いてくれ。  丈の中将……  君は……  もう一度会いたかった人  もう一度触れたかった人  俺の大切な人生を分かち合いたかった人だ。  君がいない世界に、こんな風には逝きたくなかった。    逝きたくない── **** (丈の中将っ!)  切羽詰まった苦し気な声が耳元に響いた気がした。  洋月を探して馬に乗り、夜な夜な都の周辺を徘徊していた私の耳に。  空耳か、いや空耳ではない。洋月が私を呼んでいる!  嫌な予感がして馬を思いっきり走らせると、視界が突然開けた。 「あっここは、月夜姫と逢瀬を交わした湖畔ではないか……」  まさか洋月が、此処にいるのか。  月が出ていないから君が見えない。一体何処にいるのか。  馬をから降りて湖畔を見回すと、何やら辺りが騒がしい。  誰だ、こんな時刻に? 「いたか」 「いや……見つからない」 「ふざけるなっ! 何と言い訳するつもりだ!」 「必ず探し出せっ! 無傷で捕らえろ」  誰かを追っているようだ。なんとなく姿を見られるのはまずい気がして、草の茂みに隠れると一人の男が息を切らせて目の前を走り抜けようとした。血眼で誰かを探している。 「あっ……」  その男の顔に見覚えがあった。あれはたしか幼少時代を共に過ごした乳母の子供の……海では? そうだ! かつて私の舎人だった海ではないか。何故お前がこんな所にいるのか不審に思い、茂みの中からぐいっと手を掴んで引き寄せた。 「おい!こんな所で何しているのか」 「あっ……丈の中将様!」  海はひどく狼狽えるような焦った表情を浮かべている。 「何があった?」 「あっ……」 「お前は今誰に仕えている? 洋月の君を知らないか」 「くっ」  海は耐えかねたようにがばっとその場で土下座をした。一体どうしたのだ? 「申し訳ありません。顔を合わせられなことをしでかしました」 「もしや……洋月の行方を知っているのか」 「……」 「まさか……先ほどから牛飼い童や舎人たちが必死で探しているのは洋月のことなのか」 「……」 「言え! 」 「そうです。囚われていた洋月殿を私が先ほど逃がしたのですが……どうも嫌な胸騒ぎがして」 「何処だ! 洋月はどっちへ行った?」 「あちらへ逃がしたのです。洋月殿は真っすぐに湖畔の脇の道を走られて……ですが私が気になって追いかけたとき、忽然と姿が消えていて……まさか、まさかとは思うのですが」 「まさか……なんなのだ?」  そのままうなだれるように土下座した海が、低い声で泣く様に唸った。 「みっ水音がしたのです」 「何だと……まっまさか……湖に落ちたとでもいうのか」 「分かりません。でも足跡が途中で途絶え、そこからの形跡がないのです」 「どのあたりだ」  海が指さす方向へ、すぐに馬を走らせた。 「洋月!無事なのか」  くそっ闇夜で道がよく見えない!睨むように湖に目をやると、空に浮かぶ月は出ていないのに、湖には白く淡い光の月が映っていた。 「えっ……何故、闇夜なのに月が出ている?」  追いついた海に命令する。 「舟を出せっ早くっ」  まさか……嫌な予感が次から次へと私に襲い掛かる。そんなことがあってはならない。立っている足がカタカタと震え、口が乾いてしょうがない。  やがて海が用意した舟に乗り、湖の中に浮かぶ月を目指す。  どこまでも深く暗い色をした湖のさざ波に揺れる舟のへりにしがみつき、あの月の正体を確かめに行く。  あと少しで、あの光へ手が届く距離だ。その光の正体を探ろうと湖の冷たい水に手を入れて、私は掴めるはずがない月を掴んだ。 「あぁ……なんてことだ」  その光の源は、あの月輪だった。私のでなければ洋月のものだ。途端に呼応するように、私の直衣の袂の月輪も蛍のように光り出した。 「洋月は一体何処へ……まさか湖で溺れたのか……」    探さなければ!  助けてやらなくては!  先ほど俺を呼んだ声は、助けを求める声だったのだ!  舟から身を乗り出して、飛びこもうとした瞬間、海に両脇を抑えられ制止された。 「なりませぬ!」 「離せ!」 「洋月が沈んでいるかもしれないではないか! あいつは私を待っている!」 「駄目です! なりません!」  そんな……こんな結末ってあるのか……在り得ない。  追いかけることが出来ぬのなら、時間を戻してくれ!  私に沈みゆく洋月を抱きとめさせてくれ……  涙と共に、体中にふつふつと沸き起こる切なる願い。  洋月と分かち合った月輪と己の月輪を重ね合わせ心の底から願う! 「頼むから! 月の力よ。助けてくれ! 洋月……君がいない世の中なんて、考えられない!太陽も月もないのと同じだ!!」  闇夜に浮かぶ舟の上で、重なる月を胸に抱き嗚咽した。  私の涙は、音もなく湖の冷たい水の中へ溶け込んでいく。  私の涙を吸い込んだ湖の湖面が、一瞬輝いたような気がした。 「月夜に沈む想い」了 **** こんにちは。志生帆 海です。ううう…悲恋です…このままでは。 そこで一旦ここでお終いで、『重なる月』へと飛んでいきます。明日からは『重なる月』でお会いできたら嬉しいです。 洋月と丈の中将がまた巡り合えることを祈って…『重なる月』は本格的に輪廻転生の話へとなっていきます。ここまで「月夜の湖」を読んでくださってありがとうございます。 再開まで暫くお待ちください。

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