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月は再び湖を照らす 1
「粉雪か……」
私は、またこの湖に来てしまった。
洋月の君が行方不明になってから半年以上が過ぎたのに。
あの日二人で分かち合った月輪が浮かんでいた湖を隈なく捜索したが、結局、洋月は見つからなかった。流石に帝も動揺を隠せないようで、洋月が生死不明、行方不明ということは伏せられたまま、帝の山荘で病の療養中ということにずっとなっている。
だが宮中では噂が飛び交っている。
「洋月の君がいない世界は暗黒のようだ」
「あの女人以上に美しい姿をせめてもう一度拝みたい」
「あの優しい朗らかな声を聴きたい」
皆に愛された貴公子だった洋月の姿が見えないのを、宮中の誰もが寂しく思っているようだ。
「早く帰ってこい。皆待っているよ……君のことを。まだ生きているのだろう? そうだよな」
その願いを胸に、私は満月の日には必ず洋月と語り合ったこの湖畔で、夜が更けるまで過ごしている。だが生きている……そう思うのに、時々胸を過る不吉な予感に苛まれてしまうのは何故だろう。
「もうこの世の中に洋月はいないのか。黄泉の国へ旅立ってしまったのか。あの日……やはり湖の奥底に沈んでしまったのか」
いや、こんな考えは駄目だ。
亡骸を確認したわけではない。
きっと生きている。
淡い期待と不吉な予感が交錯する日々は、とてつもなく長く感じた。あれから季節も廻り、今はもう冬だ。供の者は私の気が狂ったかと案じているが、今宵も結局ここに来てしまった。
今宵は特別だ。
君と深い関わりがあったあの方が身罷られた日だから。
洋月が行方不明になった途端、気弱になった帝はみるみる衰弱し、一月後には病に倒れてしまった。死をご覚悟された帝は病床で剃髪授戒(出家)をされ、私は先日出家した帝に内密に呼び出されたばかりだったのだ。
****
御簾越しに対面する帝は生気を失い、一気に年老いたような憐れな姿だった。
「丈の中将か」
「……はい」
「洋月の行方を探してくれているのは君だな」
「そうです」
「諦めずに何か月も探すのは何故だ……もしや」
もしや……に続く言葉は何なのか。
この帝は洋月を長い間、自分の所有物のように自由にしてきた人で、その人を相手に、どう答えるべきか分からない。
私は洋月と愛しあい、心と躰を分かち合った仲です。
また再び出逢う日まで、私は洋月を探し続けるし待ち続けます。
心の中で言葉には出さず答えた。
するとまるでその言葉が聴こえたかのように、帝は一筋の涙を流された。
「……私が洋月の人生を踏みにじった張本人だ。あの子には可哀想なことをした。すべて私の身勝手な振る舞いだった。帝として人の親としてあるまじき行為の数々をしてしまった。洋月が突然、行方不明になってしまった時にやっと私は気が付いた。あの子を愛していたのに愛情がおかしな方向を向いてしまったことを」
何も聞いていないのに、帝は赤裸々な告白を私なんかにされたので驚愕してしまった。
「丈の中将……ありがとう。あの子は君に出逢い幸せになったのだな。私がしてやれなかったこと。この先もし帰って来たら……君がしてやってくれ。ずっとあの子の傍にいてやって欲しい。そして伝えて欲しい。恐らく私にはもうあの子に謝る時間がないから」
「帝、そのようなことを」
「すまなかった……そう伝えて欲しい」
死を目前にした懺悔の日々なのだろうか。一介の中将に、このような伝言を残すとは。
心が苦しい。
洋月がされたことを恨み許すつもりなんてなかったのに、私の心は揺らいでいた。
「伝えます。必ずや……」
****
その数日後とうとう帝は崩御され、宮中は深い悲しみで包まれている。明日からは葬儀法要で忙しくなるだろう。
もういない。洋月を長年苦しめた相手はこの世から消えた。
「伝えてやりたい。帝の心からの謝罪を……私の口から洋月へ。だから私のもとへ帰って来い」
湖畔にせり出した太い樹の枝に腰かけて、夜が更けて行くのを待った。空から舞い降りてくる粉雪が頬に触れると、優しく溶けていった。その感覚は、まるで洋月からの接吻のようだった。
洋月の躰はいつも冷えていたが、私が触れると熱を帯び、雪をも溶かしてしまうほど熱く染まって乱れていったな。そんなことを思い出すと自然と頬が緩んでくる。
今宵は不思議だ。
粉雪が舞うほど寒いのに、何故か心はぽかぽかと温かくなってくる。
私は洋月の唇の感触を思い出しながら、もう一度目を瞑った。
「せめて夢の中でいいから……君に会いたい」
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