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月は再び湖を照らす 2
月虹の道をひたすらに王様と赤い髪の女と共に歩いていると、突然もう一つの道が目の前に開けた。
すぐに分かった。
俺が進むべき道はこちらだ。
此処でこの人たちとはお別れだ。
二度と肉体は邂逅することはないだろうが、心はいつの時代でもつながっている。そう思うと寂しくない別れだった。それぞれが戻りたい所へ戻るのだから。
「ここでお別れのようだ」
「……そのようね」
赤い髪の女も微笑む。
「元気で、お互い幸せになろう」
「ええ」
「洋月……短い間だったけど楽しかったよ、僕も」
王様の無邪気な笑顔に見送られ、俺は独り道を逸れて行く。この先に待つものが何かが分かるから怖くなどない。
一歩……また一歩。
月虹の白き道を歩いていくと、突然足元にひんやりとした冷たいものを感じた。
「あぁ……雪が積もっているのか。あれから季節は更に廻ったのだな」
ここはどこだ? 見覚えがある風景だ。
いつの間にか俺の足は月虹の光ではなく、冷たい雪を踏みしめていた。そして頬にも冷たい粉雪があたっていた。
「帰って来たのか。俺の時代に……とうとう」
感無量だ。
あの日湖に沈んだはずの冷たい躰は時代を飛び越え、洋と丈に助けてもらった。そして再び生きてこの地に戻って来ることが出来た。頬にあたる雪の冷たさに、これは夢ではないことを実感する。見上げれば天から舞い降りる粉雪が、俺の世界を覆っていた。
今宵は月は見えぬが、まるでこの銀世界が月明かりのようにあたりを照らしている。古来からの歌が浮かんでくるよ。
朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪
坂上是則(31番) 『古今集』冬・332
現代語訳……ほのぼのと夜が明けていく頃、ふと目を覚まし、外を見ると 有明の月が差しているのかと思うほど、まぶしいばかりの白雪が 吉野の里一面に降り積もっていた。
今宵は月がなくても明るい世界だ。ここはあの湖の湖畔の道だ。あの日、追手から逃げるため走り抜けた道だ。
あてもなく歩いていると突然耳に届いた。俺が逢いたかった丈の中将の声が……途端に懐かしさと嬉しさが込み上げ、涙が溢れそうになる。そっと近寄れば、あの人も涙を流しながら歌を詠んでいた。
歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
右大将道綱母(53番) 遺集』恋四・912
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結局、今宵も洋月に逢えなかった。また嘆きながら一人で孤独に寝ることになるのだ。夜が明けるまでの時間がどれだけ長いか……洋月……君は知らないだろう。早く帰って来い。私の元へ。
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あぁ……君はずっとずっと諦めずに待っていてくれた。
俺も待っていたよ、君に逢える日が再び訪れるのを。
今、君の隣に、やっと戻って来た。
俺は目を閉じて涙を流す丈の中将の頬に、そっと心を込めて口づけをした。
「あっ……」
まるで雪が溶けるかのように俺の口づけは、丈の中将の頬に触れた途端、熱を持った。
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