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その後の話『梅香る君』 2

「やめろっ」 「光る君と宮中で名を馳せていたあなたが、桔梗の上のように地位も美貌も兼ね備えたこの上ない女性と婚姻しておきながら、おぼこ(未通女)のまま放って置くなんて。随分と私の愛しい桔梗の上のことを虚仮(こけ)にしてくれましたね。一体あなたの本命は誰なんですか、さぁさぁ早く教えて下さいよ」 「うっ……痛っ……」 「もしや……私には話せない相手ですか。人に言えない相手ですか」  じりじりと俺のものを握り締める手に力が入り、一層追い詰められていく。 「あぁ……やめ……ろ。やめてくれ!」  あまりの痛さに目を見開くと、その目からは涙がにじみ出そうになるが、決して見せたくなかった。泣きたくない。こんな卑劣なことをされ……屈辱で流す涙は、相手を悦ばすだけのものでしかないから。  絶対に俺の迂闊な一言で、丈の中将を窮地に立たせたくない。  許されぬ恋をしている自覚はあった。  問い詰められても言い訳は出来ぬことも知っている。 「……」  俺は何も言い返さない。キュッと唇を噛みしめて痛みに耐えることしか出来ないんだ。 「ほぅ……これはこれは随分と強情ですね」 「……もういい加減に離せ。気が済んだだろう。君には何も話すことはない。それに今はもう誰にも迷惑はかけていないはずだ」 「それはどうかな? そういえば桔梗の上の兄君は随分とあなたと仲が宜しいとお聞きしましたが……もしや、あなたは人に言えないような恋をお患いではないのですか」 「なっ……何ということを。左大臣家は妻と離縁した後も俺の後見人なだけで、あの方には関係にない」 「そうですかねぇ。私はあやしいと思っておりましたよ。そうそう……もしもそうならば、ここが柔らかくなっているとお聞ききしましたが、こちらも確かめましょうかねぇ」  前を触っていた手が、そのままなんとも強引に下襲の中に器用に割り入り、直接肌に触れて来た。熱のこもった妖しい動きをする……その指先に嫌悪感が一層募る。 「や……やめろっ!」 「しっお静かに」  必死に躰を揺すって抵抗するが、一回りも体格がよい兵部卿に押さえつけられた躰は自由が効かない。そして……あろうことか、その指先が尻の奥へと進み、割れ目を辿って、肉を掻き分け蕾に達しようとしていた。もっと深くを探ろうと、のしかかる様に躰も密着させられ虫唾が走る。 「ひっ……」    思わず悲鳴が漏れそうになり、己の口を手で押さえて耐えた。  こんな場所でこんな風に……俺のことを弄ぶなんて許さない! 「あぁ滑らかな肌ですね。吸い付くようですね。あなたはなんと魅惑的な躰をお持ちなんでしょう。これでは男も女も虜にしてしまうのも無理はない」 「っつ……」  一度抵抗する躰の力を一旦弱めると、兵部卿の宮は、してやったりとほくそ笑んだ。 「あぁ感じてきましたようですね。うっとりしますよ。ここ……あなたは随分と淫乱ですね」  尻の肌触りを楽しむかのように撫でまわしていた指先がとうとう、つぷっと蕾の中へ無理矢理入り込もうとしたその時、俺はキッと睨み返し、思いっきり全身の力を込めて突き飛ばした。 「わぁっ」  俺が抵抗をやめたと油断していた兵部卿の宮はバランスを崩し、派手な音を轟かせながらその場に尻もちをついた。その拍子に格子が外れ、ガランガランっと渡殿に大きな音を立ててしまった。 「まぁ何事ですの」 「こちらから大きな音が」  騒ぎを聞きつけた※女房たちが近づいて来たので、俺は慌てて直衣の乱れを直し、兵部卿の宮を残して、その場から立ち去った。  ※朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人 「まぁ兵部卿の宮様っ! 一体どうなさったのですか」 「いや……なんでもない。その……大人しそうな猫に急に噛まれたので驚いただけだ! はははっ」 「まぁ猫ですって? 嫌ですこと……ほほほ…」  気まずそうに言い訳をする兵部卿の声が遠くに聴こえていた。  気持ち悪い。あんな奴にあんな風に、あのような秘めたる場所を触られて……泣きたいような苦しい気持ちで、胸が苦しくて直衣の上から胸をぎゅっと押さえた。  その後、急に心配が込み上げてくる。  兵部卿の宮が何か余計なことを言わないだろうか。何か気が付いてしまっただろうか。俺もなんと見下されたことか。あんな奴にいい様に躰を弄られなんてしまうなんて。  もう忘れていた嫌な過去が一気に蘇ってきてしまう。  牡丹に長きに渡り抱かれ続けた暗黒の日々を思い出してしまう。  駄目だ……今すぐに丈の中将に会いたい。  君がいないと、俺はすぐにこんなにも弱くなってしまう。  早く帰って来い。早く帰って来て欲しい。  込み上げてくるものを……もうせき止められない。  胸を押さえながら、無我夢中で誰もいない場所を、泣く場所を探して宮中を走り抜けた。  ふと横目で紫宸殿の前の南庭を見ると、人気がなかったので駆け下りた。見上げれば粉雪が、空からひらひらと舞い降りていて、南庭はすっかり白銀の世界となっていた。  清らかで厳かな雰囲気で満ちた庭に、今は人ひとりいない。  ここだ。ここなら泣いても許されるだろうか。  この汚れた身を浄化したい……そう思い木陰までふらふらと歩いて行くと、ふわりと俺を抱きしめるように、花の香りが届いた。 「……この香は……梅か」  見渡せば庭の端に梅の古木があった。枝にも綿帽子のようにふんわりと雪が積もっている。 「もしや……ここに……花が咲いているのか」  指先で雪をそっと掻き分けると、白梅がひょっこりと可憐な顔を出した。まるで白い雪に守られるように、それでも隠し切れない白梅の甘い香りに心を奪われ、その拍子に目頭がじんと熱くなり、涙がはらりと零れ落ちた。  あぁ……やっと泣けた。  悔しくて気持ち悪くて……泣きたい位嫌だったのに、騒ぎになるのが嫌で、抵抗せずにぎりぎりまで耐えてしまった己を恥じていた。そんな自己嫌悪の気持ちを、涙が解放してくれるようで、つい雪に涙を隠しながら木陰にもたれ嗚咽を漏らしてしまった。  宮中でこんな風に乱れてはいけないのに、誰が見ているかも分からないのに、もうどうしても堪えられなかった。 「……そこに居られるのは、洋月の君ですか。何をそんなに泣いておられるのか」  高貴な香の香りと共に、突然……御簾越しに声をかけられた。 「あっ……あなたは」

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