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第3話
「友人が趣味で書いていた小説の登場人物の名前だったんだよ。でも下の名の漢字は違ったけれど」
「それは凄い偶然ですね。どんな人物だったんですか?」
「たしか、修学旅行中の飛行機事故かなんかで異世界に飛ばされて、っていうファンタジーだったかな? その人物は主人公を助ける仲間の一人で、女と見間違うほどの美貌を持つ、冷静沈着でパーティーの参謀のような立ち位置のキャラクターだったな」
「……まったく私と違いますね」
車線変更をしながら、そう返した優弦はふと、視線を感じてルームミラーを見た。そこには、じっとこちらを窺う櫻井の顔が写っている。櫻井は、
「そうかな? 君はとても雰囲気のあるいい顔をしている。女性客の中には君に一目惚れする人もいそうだ」
急に自分の顔を褒められて優弦は恥ずかしくなった。その照れを隠そうと、
「それで、そのお話の最後はどうなったんですか?」
「最後か。それが受験もあったりして未完のままだった。卒業してから、その友人とは会う機会もなくなったから、完結したのかどうかはわからないんだ。ただ、途中まで読んで印象的だったのは、そのヤマナシユヅルが主人公をドラゴンが吐く炎から身を呈して守って、大怪我を負いながらも、好きだ、と主人公に告白する場面だったな」
「……主人公はずいぶんと勇ましい女の子だったんですね」
「いや違うよ。仲間思いの熱血少年さ」
意外な展開に少し驚いた。でも残念だ。自分と同じ名前の人物がどのように主人公を助け、困難を乗り切り、元の世界に戻ってきたのか聞きたかったのに。
少し会話が途切れると、今度は優弦の方から彼に自然と声をかけていた。
「ずいぶん遅い時間までお仕事をされているのですね」
「ああ、ごめん、騒がしかったかな。おれたちは広島が本社の、とある企業のシステム開発をしていてね。ちょうど、今夜からテストが始まって……。って、ちょっとわからないかな」
「いえ、実は私も前職はお客様と同じような仕事をしていたので……」
えっ、と小さく驚いた櫻井と一緒に、優弦は自分の言動にびっくりした。今まで一度だって乗せた客に対して、自分のことを語ったりなんてしなかった。なのに前の仕事のことを初対面の、それも一期一会の客に言うなんて。そんな優弦の戸惑いとは反対に、櫻井は興味を持ったようで、
「そうか、同業者だったんだ。なんだか恥ずかしいな。おれたちの会話、呆れて聞いていたんじゃない?」
「いえっ、とんでもない。皆さん、遅くまで大変だなって……」
焦り気味に言い繕った優弦に櫻井はおかしそうに笑い声をあげると、
「月見里さんは前の仕事も広島?」
運転手さん、ではなく名字で呼ばれるとなんだか少し打ち解けたような感じがする。
「いえ、前は東京に。でも、ちょっと体調を崩してしまって、辞めてこちらに戻ってからは今の仕事に」
「たしかにシステム開発は体力勝負なところもあるし、メンタル強くないとやってられないからね。東京にはどれくらい?」
後部座席の櫻井はぽんぽんと気持ちのいいくらいに質問をしてくる。それを疎ましく思っていない自分にも驚きつつ、
「高校の頃からですので、かれこれ十年近くいました」
櫻井がなにかを考え込むように少し黙ったあと、
「……ということは、今は二十六か七歳、くらいか」
自分の年齢まで言い当てられて優弦は驚くしかない。
「ええ。今度二十七になります。でもどうして判ったんですか?」
「高校一年で東京に来て十年いたら、って簡単に考えたのと、あとはそこの乗務員証に運転資格取得日が書いてあったから」
たしかに優弦がタクシー運転手になってから一年が過ぎている。この客は、何気ない会話と車内に掲示されていた情報で優弦の年齢を推理したのだ。
(洞察力が鋭い人なんだな)
優弦が感心していると、
「ああ、もうすぐ駅だな。月見里さん、ついでにマンションの前まで送ってもらえる?」
それは当たり前の優弦の仕事だ。そんなに恐縮しなくてもいいのにと思いながら、優弦はわかりました、と返事をした。櫻井は駅裏の狭い道を案内しながら、
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