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第11話

(今夜はいつもよりも迎車要請の時間が早いな)  優弦(ゆづる)は大手町のMビル前の路肩に車を停めて、櫻井たちが出てくるのを待っていた。夜十一時過ぎ。先ほど乗せた客が近場に降りてくれて本当に良かった。もしも長距離だと、櫻井たちを迎えに行けないところだった。  櫻井と出逢って一ヶ月。優弦は今では櫻井が教えてくれた通りに、夜中にオフィス街にあるMビル前で乗客を待つようになっていた。  夜にタクシーを利用する乗客は、JRの最終に間に合うように駅まで急いでくれ、という依頼が多かったが、深夜十二時を過ぎると終電を逃した客が乗り合わせでやってくる。それもどの客も郊外の住宅団地への送りだから、結構な稼ぎになっていた。  それに櫻井は必ず自分を指名してくれる。 (義理堅い人だな、櫻井さんは)  今までに交わした櫻井との会話を思い出して、思わず笑みが溢れた。櫻井と同乗するのは大抵、由美と丸山が主で、たまにチャドが一緒になる。  彼らは、なぜか優弦のタクシーに乗り込む前に必ずじゃんけんを始めて、勝った者から好きな席に座った。櫻井は勝つと必ず、優弦の隣の助手席を選択した。皆、疲れているのにどこかハイになっているのか、この席決めじゃんけんにいい大人がかなり真剣に取り組んでいた。  彼らが車に乗り込むと、由美がいつも車内を盛り上げた。大抵、丸山に広島弁丸出しで仕事のダメ出しをして、それに丸山が、「すみませんッ」と謝るのがパターンだ。そして、皆が降車して最後に櫻井が残ると、あとは静かに二人だけの会話が始まって、ゆったりとした空気が車内に流れた。優弦は、櫻井と二人で過ごす短い時間を気に入っていた。  よく顔を合わせるからか皆、優弦に打ち解けてくれて、運転中に色々と話を振ってくるようになった。特に由美が聴きたがったのは優弦の恋バナだ。なぜか由美は、優弦は女の子にモテるはずだと勝手に決めつけていて、優弦はいつもそれを柔らかく否定した。そして最近は、由美が密かに櫻井に恋心を募らせている様子が、彼女の醸し出す雰囲気からチラホラと感じられるようになっていた。 (櫻井さんはかっこいいからな。彼女が好きなるのもわかる)  また思い出し笑いをしたときだった。急に外が騒がしくなったかと思うと、バンッ、と左側の後部座席の窓を強く叩かれた。  優弦は慌てて後ろを振り返る。窓から見知らぬ男が車内を覗き込み、それを数人が止めているところだった。 「運転手さーん、ドア開けろやあ」 「課長、駄目じゃって。このタクシーは予約車ってなっとりますでしょうが」 「ほうですよ、ほら、行灯も消えとるし」  うるさいわぁッ、と男は大声を出すと、今度は助手席のドアをガチャガチャと開けようとした。 (酔っぱらいか、困ったな)  優弦は助手席の窓を下げると、 「申し訳ありません、このタクシーは先約がありますので、他のを手配……」 「アアッ!? なんじゃあ、わしらは乗せられん言うんかッ!」  酔っぱらいの男は真っ赤な顔をして優弦に罵声を浴びせる。課長っ、と部下らしき二人が車から男を引き剥がそうとするが、男はへべれけにも関わらずガッチリとドアにしがみついて、 「乗車拒否とはええ根性しとるのう。ああんっ? おまえ、まだ若造じゃないか? どこのタクシー会社なあ? おまえみとうなもん、大して仕事もできんけぇタクシーなんぞに乗っとるんじゃろうがッ!」  こんな嫌味はよく言われる。それでも優弦は冷静に、 「代わりの車を呼びますから、そちらをご利用いただけないでしょうか?」 「課長、ほら、運転手の迷惑になっとりますよ。別のを捕まえましょう」  自分よりもずいぶん若い優弦と部下に言われた台詞が、男のプライドを逆撫でしたようだ。彼はいきなり助手席の窓から上半身を車内に突っ込むと、優弦に飛びかかってきた。 「おまえ、そこから出てこいやあッ!」  ネクタイを掠めた男の手をなんとか避けて、優弦は業務用の携帯電話に手を伸ばした。酔客の絡みが酷いときには警察へ連絡することもある。だが、携帯電話を取る前に、優弦は伸ばした手首を男の手にガッチリと掴まれてしまった。 「あッ! お客様!」  ドアの外から、「課長、もうよしましょうや」と、男の部下たちの慌てた声が響いている。酒臭い息を車内に撒き散らし、怯んだ優弦と眼のあった男が、 「……なんじゃ、兄ちゃん、かわええ顔しとるじゃないか。大人しゅう、わしの言うこと聞けえや」  男は凄むとニヤリと嘲りの嗤いを浮かべて、掴んだ腕を強く引っ張った。

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