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第13話
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櫻井ひとりならこの道が一番早いだろうと、優弦はいつも走る宮島街道に入る手前の信号を左に折れた。大きな川沿いを走って河口近くで右手に進むと、そこはこの都市の大きな卸売り市場のある流通団地になる。
この時間は問屋や食品加工工場に向かうトラックの行き来もなく、優弦の運転するタクシーは真っすぐにその流通団地を突っ切った。
川を渡り続く地区は、大きな貨物船が停泊する港。ここは主に、できたばかりの新車を運ぶための船が来るが、最近では観光目的の外国からの豪華客船も来港するようになっている。
左側に港を臨んで進むと目の前に現れたのは見慣れた、はつかいち大橋だ。ここを渡って木材港と呼ばれる輸入木材を扱う地区を抜けたら、櫻井のマンスリーマンションまではすぐだ。
(今までで最短記録だ)
広島市内のオフィス街で櫻井を乗せてから二十分も経っていない。くっ、とアクセルを踏んで、急勾配の大きなアーチ状の橋を上り始めたとき、「……海」と後ろから小さく櫻井の呟きが聞こえた。
「近道をしようと思って海側を走っているんです。あと十分もかからずに着きますから」
ルームミラーを確認すると、櫻井は後部座席の左のドアにぐったりと寄りかかり、頭を窓につけて外の景色をぼんやりと眺めていた。
「月……」
優弦は櫻井がなにを言いたいのかわかった。今夜は満月だ。海の上に昇って、辺りを照らす満月の光が島々を浮かび上がらせて、昼間とは違った瀬戸内の風景を見せている。ちらりと優弦も左手を横目で見ると、穏やかな海の表面に月の光が綺麗に映し出されていた。優弦が今夜の海も綺麗だと思ったとき、櫻井から、
「なんて……、綺麗なんだ……」
波間に反射して輝く月の光に、櫻井も自分と同じことを感じていたのかと思うと、優弦は心がじわりと暖かくなった。
高い位置にある、ぼやけた見慣れない白い天井に一瞬戸惑う。視界がはっきりしてくると、天井に打ちつけられた銀色のレールが見えて、そこから薄緑色の長いカーテンが横たわる自分の周りをぐるりと囲っているのがわかった。熱が篭ったままの頭で状況を思い出してみる。
(……ここは病院、だったかな?)
優弦の車に乗り込んでから、一気に体調を崩してしまった。ガクガクと体は寒さに震えるのに全身が燃えるように熱い。背中の筋肉が張ったと思ったら、すぐに身体中の関節がギシギシと軋んだ。
誰かに脳みそを掻き回されているみたいで眩暈は酷いし、少し咳き込むだけで喉が焼けつく。やっとマンションの前に着いたのに、櫻井は自力で後部座席から降りることもできなくなっていた。
何度か優弦に声をかけられたが、それに応えるのも億劫だ。すると優弦が運転席から降りて後ろのドアを開けると、座席に片膝をかけて、
「失礼しますね」
額に押し当てられたのが優弦の手のひらだとわかったときには、彼はどこかに電話をかけ始めていた。
「櫻井さん、保険証を持っていますか?」
財布に入っている、と言いたいが声が出ない。こくりと頷くと、
「今から夜間救急に行きます。すぐですから、もう少し我慢してください」
そこまでしなくていい、と目で訴えてみたが優弦は、「大丈夫ですからね」と安心させるような声色で言うと、近くの総合病院の救急外来に櫻井を連れてきたのだ。
一体どれくらい眠っていたのだろう。櫻井は、左腕に刺さっている点滴の管を辿って、ポトポトと落ちるしずくを眺めた。
優弦に肩を抱えられて診察室に入ったあとは、このベッドに寝かされて点滴が始まるとすぐに意識が遠のいた。だから、この輸液パックが一つ目なのか二つ目なのかもわからない。
(彼は、どこに)
もっと周りを確認したくて起き上がろうとしたとき、廊下で微かな話し声がして、静かに引き戸を開く音がした。そして、櫻井のベッドを囲っていたカーテンが小さく開いて、
「ああ、気がついたんですね」
優しい声に視線を移すと、そこにはダッフルコートを手にした優弦が立っていた。
「どうですか? 気分は?」
優弦が近くのパイプ椅子に腰かけようとする。急に、彼に迷惑をかけたと思い出し櫻井は上体を起こそうとした。
「あっ、無理しないでください。さっき看護師さんから熱はずいぶん下がったって聞きました」
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