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第15話
ジェイクは女性と結婚したが、実はバイセクシャルだ。櫻井は一部の親しい人間にしか打ち明けてはいないが、恋愛対象は男性だ。
今までに何人かの男と関係を持ったが、長く恋人として付き合えた人はいなかった。彼らは一時的な快楽を共有する関係を望んで、櫻井もそれに甘んじていたからだ。
現に今でも連絡すれば、一夜の相手に応じてくれる男だって何人かいる。
(別に今は、人肌恋しいわけでもないのだが……)
初めて会ったとき、この青年から仄かに醸し出される雰囲気が気になった。ただ一度、流しのタクシーを停めただけだというのに、名前通りの優しく凛とした彼の空気が心地好くなった。腰も低く礼儀正しくて、ドライバーとして仕事中の彼の様子は良く知ることとなったが、今はもっと踏み込んで彼のことを知りたいと思っている。それに、
(おれの思い違いじゃなければ……)
櫻井は足下で眠っている優弦に手を伸ばした。耳にかかっている黒髪を一束摘まんでみる。親指と人差し指を擦り合わせて優弦の髪の毛の感触をたしかめると、今度は大胆にも額を隠していた前髪をそっと分けてみた。
(額を出すと余計に可愛らしさが増すじゃないか)
起きる様子のない優弦の前髪をしばらく指先で玩んで、今度は左目の泣きぼくろをつついてみた。ピクピクと睫毛が揺れ、急にぱちんと優弦の瞼が開いた。
目を開けた優弦の瞳に飛び込んできたのは、大きな手のひらが自分から遠ざかる場面だった。優弦は慌てて上体を起こし、注意深く辺りを見渡す。そしてここが櫻井の部屋だとわかると、ベッドに寝ていたはずの彼が、自分のすぐ近くに座っていることに狼狽えた。
「さっ、櫻井さん。なにをして……?」
優弦が上擦った声で櫻井に問いかけた。咄嗟に手を引いたが、優弦に触れていたことはばれている。だが、櫻井は慌てることもなく、
「こんなところに寝ていたら体が痛くなる。それにヒーターがあっても君のほうが風邪を引きそうだ」
「あの……、ぐ、具合は……」
「大丈夫。よく眠れたし、汗もかいたからね。熱は平熱に戻ったみたいだ」
櫻井から視線をおどおどと外して、優弦は「よかった」と言った。櫻井はその優弦の顔を見て、
(怖がらせてしまったか? でもこれは、もしかしたら思い違いじゃないかもしれない)
優弦は頬どころか耳たぶまで真っ赤に染めて、恥ずかしそうに肩をすくめている。たしかめてみる価値はありそうだ、と櫻井が口を開きかけたとき、
「あっ、あの、櫻井さん、腹、減ってませんか?」
その問いかけに櫻井は言葉を止めた。急になにを言い出すのだろうと思っていたら、優弦はたたみかけるように、
「薬局で薬をもらって来たので、飲むのならなにか腹に入れないと。コンビニに行ってきますから、その……」
優弦の言葉に櫻井はあることに思い至った。そうだ。彼は徹夜明けなのに自宅にも帰らず、朝が明けると薬局に処方薬を受け取りに行って、そして食事にまで気を配ってくれている。
優弦の寝転んでいたラグの傍のテーブルに、薬袋と一緒に櫻井のスマートフォンとこの部屋の鍵が置いてある。櫻井はスマートフォンを手に取ると、今の時間と何件かの着信履歴を確認した。
「会社になにも言ってなかったな」
すると、目の前の優弦がますます体を小さくして、
「……すみません。失礼だとは思ったんですけど、平田さんから何度か電話があったので……。おれが出て、櫻井さんの病状を伝えました」
スマートフォンからプロジェクトのグループウェブを確認する。たしかに櫻井が風邪で休みであることと、由美と丸山から「ゆっくり休んでください」との、いたわりのメッセージが入っていた。
「差し出がましいことをしてしまって……」
「そんなことはないよ。それに君にはなにからなにまで世話になってしまった。仕事明けで疲れているだろうに、本当にありがとう」
やっと優弦が顔をあげて櫻井を見ると微かに笑った。その笑顔に今度は自分の顔が熱くなるのを悟ると、照れ隠しに、
「じゃあ、なにか買ってきてもらおうかな? でも、もう動けそうだから、月見里さん、どこかに一緒に食べに行く?」
その申し出を優弦は真面目な顔で断わると、
「まだ寝ていてください。欲しいものがあれば買ってきますから」
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