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第19話

「なあ、見たか。さっき駐車場に入ってきた車。あれ、運転しとんの、佐川んところの弟の優弦じゃろ?」 「ああ。ちょっと前に客を乗せてきたけえ、今度は迎えにきたんじゃろ」  牡蠣打ちの作業場だろうか。休憩をしているのか、防寒具に長靴姿の男が三人ほど、煙草を燻らせながら話をしている。櫻井は思わず、その男たちの口から出てきた優弦の名前に作業場の入り口近くで足を止めてしまった。 「佐川は優弦が来とんの、知っとんか」 「さっき、駐車場で話しよったでえ。佐川のやつ、いつもの仏頂面がますますひどぉなっとったわ」  男たちの笑い声が建屋に響く。 「でも優弦は、アイツの母ちゃんが迎えに来て東京にいったじゃろうが。いつの間にこっちに戻ってタクシー運転手なんかしとるんじゃ」 「おまえ、知らんかったんか。……なんか、東京でえらい酷い目におうて佐川が連れ戻したらしいで」 「酷い目? なんじゃそれは」 「酷い目いうたら、ほら……。なあ?」 「佐川の弟は昔から男相手に、ソッチの噂が絶えんかったじゃろうが」  ああ、ほうじゃったのう、と思い出したような返事がして男たちの声が大きくなった。 「久しぶりに顔見たがあいかわらず、なんちゅうか誘うツラしとったわ。あんなんでタクシー運転手なんかできるんか?」 「案外、気に入った客を車じゃのうて、自分に乗せとるんじゃないか?」 「いや、男の腹に乗っかって腰振っとるほうじゃろ」  ゲラゲラと下品な嗤いが爆発した。聴くに耐えない男たちの話に、握り締めた拳が怒りに震える。 (なんだ、こいつら。なぜ、こんなに彼のことを馬鹿にする?)  ひとしきり笑い終えたのか、ひとりの男が、 「おい。こんな話は佐川の耳に入れんな。そうじゃのうても佐川は優弦を好いとらんけぇ、不機嫌になるとわしらが困ろうが」 「まあな。弟じゃいうても血が繋がっとらんし、子供を押しつけられた佐川の親父も災難じゃわ。それに母ちゃんと同じ淫乱で男好きじゃあ、堅物の佐川が嫌うのもしょうがないよのう」  耳を塞ぎたいほど、優弦に対する嘲りの台詞がつぎつぎと男たちの輪から流れてくる。さすがに我慢ができなくなって、櫻井は男たちの元に乗り込もうとした。そのときだった。 「ここは危ないけぇ、関係者以外は立ち入り禁止なんじゃけど」  いつの間にか目の前に大柄の男が立っている。櫻井にかけた男の声が聞こえたのか、佐川、と作業場の奥にいた男たちが一斉に口をつぐんだ。 (……この人が月見里さんのお兄さんか)  たしかに優弦には少しも似ていない。歳も離れているようで、血の繋がりのない兄弟というのは本当なのだろう。櫻井が口を開くよりも早く、 「あんた、たしか優弦が連れてきた客じゃな?」  櫻井は静かに深呼吸をして気持ちを落ち着けると、優弦の兄に笑顔を見せて一歩前に出た。急に入り口に現れた見知らぬ男に、作業場の奥がさらに緊張に包まれた。 「ええ、優弦さんの友人、といったところです。今日はとてもおいしい牡蠣をいただきました。ありがとうございました」  すっと右手を差し出したが握手には応じてもらえない。櫻井は少し苦笑いを浮かべて、 「隣の直売所から駐車場への近道かと思って歩いていたんです。すみません、立ち入り禁止とは知らなかった。それに、ちょっと優弦さんの名前が聞こえたものですから思わず立ち止まってしまいました」  薄暗がりの中から、「うえっ」と、妙な声がした。奥にいた男たちが櫻井に今までの話を聞かれていたことに気がついたのだろう。佐川がその声に鋭い視線を作業場の奥へ投げかけた。奥の男たちはますます存在を小さくしようとしている。その様子に、「アイツら、またくだらんことを言いよったんか」と、佐川が一つ息をついた。  こんな影口はいつものことなのだろう。この先は優弦の兄に任せて、早く優弦の元に行こうと、櫻井は佐川に会釈をして彼の横を通り過ぎようとした。すると、 「ちょっと、あんた。少しだけ話をしたいんじゃが」  ぶっきらぼうに呼び止められて、櫻井は少し気分を害した。だが、そんな櫻井を気にもせずに「こっちじゃ」と言って歩く優弦の兄の背中について行くことにした。

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