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第26話

 由美は、あのサービスエリアのベーカリーで大量にパンを買い込んで、車内はしばらくの間、こうばしい香りに包まれていた。  ええじゃんか、と丸山に文句を言いつつ、由美の目は壁一面に並べられた色とりどりのジャムの瓶に釘付けだ。 「ネーブルとか美味しそう。ええ、これはゴボウ? なになに、茹でたソーセージにかけたらおいしいって、うわあ、気になる!」  優弦も入り口近くの小瓶に書かれている初めて見る果物の名前に感心していると、なにやら櫻井と丸山がこそこそと話をしている姿が横目に写った。櫻井に耳打ちされ、緊張した面持ちで何度か頷く丸山の様子を見ていたら、話が終わったのか二人が優弦に視線を向ける。  二人に同時に見られて首をかしげると、丸山は親指を立てた右手をつき出し、口を真一文字に結んで、うん、と優弦に頷いた。 (なんだ?)  用でもあるのかと声をかけようとした途端、くるりと背を向けた丸山は由美の横に歩みよると、 「あっ、これってなんのジャムすか? うわ、ぜんぜん漢字が読めん。すみません、これなんていう果物でできとるんですか?」 と、店の奥にいた品の良い店主の女性に話かけた。由美も丸山の問いかけに興味を持ったのか、二人で店主の説明を聞き始める。  優弦も気になって二人に近寄ろうとすると、いきなり櫻井に左の手首を掴まれて店の外へと連れ出された。 「えっ? あの……」  しーっ、と櫻井が人さし指を唇の前に立てて、いたずらっぽく笑う。そして早足で店の横の小路に優弦を押し込むと、ずんずんと歩き出す。優弦はわけもわからずに、大きなストロークで歩く櫻井に歩幅を懸命に合わせた。  しばらく黙って歩いていた櫻井が、ちらりと後ろを確認すると急に「走るよ」と、駆け出した。優弦は状況が理解できないままに手首を引っ張られ走り出す。この町は櫻井も初めてだろうに彼の足はまったく迷いもなく進んで、前のめりになりながら懸命についていく優弦は、どこに連れていかれるのかと不安になった。  それでも、掴まれた左手首の締めつけは、そんな小さな不安など打ち消すような強さと熱さで、目の前の大きな背中さえ見失わなければ大丈夫だと妙な確信が生まれた。  はあはあ、と息が上がり、心臓がどんどんと脈を打つ。でも、その大きな鼓動は走っているからなのか、櫻井に手首を掴まれているからなのか、優弦にはわからなくなっていた。  商店街脇の小路から、やがて海沿いに走る国道に出てきた。ちょうど歩行者信号が青になって櫻井はそこも走って渡る。渡った先には電車の線路があり、カンカンと踏み切りが音をならして遮断棒が下り始めていた。 「渡るよっ!」 「ええっ!?」  ぐっ、とさらに掴む手に力を入れた櫻井が、下り始めた遮断棒を潜って線路に入り込んだ。優弦も慌てて櫻井のダウンジャケットを右手で掴むと、その背中に引っつくように体を寄せて線路を横断する。反対側の遮断棒を少し持ち上げて櫻井は優弦を先に行かせると、自分も線路の外へと脱け出した。  その場で膝に両手をつけて呼吸を整える。ハアハアと新鮮な空気を肺の奥まで出し入れしながら隣の櫻井を見ると、彼も優弦と同じように息継ぎをしていた。  遮断機の音に被せるように列車が踏み切りを通過した。膝に手をつけたままでその列車を見送ると、やっと優弦は胸に手を当てて上体を起こした。 「急に走らせてごめんね、月見里さん」  先に呼吸が治まったのか、櫻井が前髪を掻きあげながら優弦に笑顔を向けた。その額にはうっすらと汗が滲んでいる。 「いえ。でも、いきなりどうして」  はあ、と最後に大きく息をついて櫻井に問いかける。 「ちょっとね。丸山くんに最後のチャンスをあげようかと」 「最後のチャンス?」 「実はね、彼は平田さんが好きなんだ」 「……えっ? 丸山さんが?」 「そう。あまり時間もないから、どうしても平田さんにこの熱い想いを伝えたい、って相談を受けてね」  優弦は意外に思った。由美は傍から見ていると櫻井に気があるのは明白だ。だが、敢えてその疑問は口にしなかった。自分がそれを伝えて、櫻井が今までとは違う視線で由美を見つめることを思うと、なぜか気持ちがもやっとしたからだ。 「途中でおれたちが隠れて、二人だけにしてあげると丸山くんに約束していたんだ。まあ、あとは彼の頑張り次第だな」

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