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第27話
(それで櫻井さんは車内では二人を後部座席に座らせて、サービスエリアでも二人だけにして、今はこうしておれを連れて姿を消したのか)
「そうでしたか。じゃあ、これから二人の様子をこっそり見に行くんですか?」
少し楽しそうに言った優弦に、
「隠れて様子を見守るなんて、そんな無粋なことはしないさ。それに本当は君とおれだけで尾道を散策する目的だったんだ。だから彼らは彼らで好きにしてもらおう。やっと君と二人になれて嬉しいよ」
思わぬ台詞にどきりとする。恥ずかしさに視線を外した優弦を櫻井は特別不審にも思わなかったようで、
「さてと。これから平田さんに追いつかれないようにしなくちゃね。一応、丸山くんには平田さんの予定ルート通りにおれたちは先に行ったって伝えてもらうけれど、彼女はその気になったら歩くのが速いからな。おれたちはこれからロープウェーで山頂に向かおう。でも、まずは目の前の階段を攻略しないと」
櫻井が山側に視線を向ける。そこには急勾配の長い石段が優弦たちの前に立ち塞がっていた。
「さすがは坂の町だな。日頃、運動をしていない身にはなかなかに堪えるね」
口では面倒そうに言いながらも、櫻井の言葉の端々にはちょっと浮かれたニュアンスが混じっていた。
「さ、行こう」
櫻井が、すっと優弦に右手を差し出した。その手を取ろうか取るまいか迷っていると、櫻井は先を促すように優弦の背に手を添えた。ダッフルコートに押し当てられた大きな手のひらの温もりを背中に感じながら、優弦は隣の櫻井を見上げて頬が熱くなるのを感じていた。
心持ち足早に狭い路地を櫻井と歩いていく。映画の舞台に何度もなっただけあって、古いその町並みはゆったりとした時間が流れていて、ここに馴染みのない優弦にもなぜか懐かしい想いを抱かせた。
大きな神社の隣にあるロープウェー乗り場に着いた。ここでも櫻井がさっさと二人分のチケット代を支払う。朝のカフェラテから、昼食のラーメン、そしてこのロープウェー代と、櫻井は優弦に財布を取り出すためにポケットを触るタイミングさえも与えてくれなかった。
数組の観光客たちと一緒に小さなゴンドラに乗り込んだ。優弦と櫻井以外は家族連れだったようで、小さな子供たちはゆっくりと動き始めたゴンドラに歓声を上げて、眼下に広がる景色を親と一緒に窓に張りついて眺めている。優弦も尾道の町と海を一望したかったが、そこは大人だから小さな子供たちに譲って、櫻井と一緒にロープウェーの終着点の山頂に目を向けていた。
短い空中散歩が終わって家族連れのあとからゴンドラを降りる。そのまま、他の観光客と一緒に千光寺公園 の展望台へと足を運んだ。
先ほどとは違い、櫻井は心持ちゆっくりと足を運んでいる。二人が展望台に着いた頃には前を行っていた家族連れの子供たちは景色にも飽きたのか、早く行こう、と若い両親を急かして行ってしまった。
「素晴らしい光景だね。尾道の町を独り占めだ」
眺望案内図の前で櫻井が立ち止まって右から左へと頭を動かしている。優弦も彼の横に立つと同じように視線を動かした。
「目の前のあれは島なのか。『むこうじま』?」
「向島 って言うんです。ほらあの大きな橋がしまなみ海道の最初の橋です」
優弦が指差した方を櫻井が見ている。
「ああ、四国まで島々を繋いでいる専用道路か。たしか、あれに沿って有名なサイクリングコースもあるんだよね?」
「ええ。両側に瀬戸内の海を眺めながら風を感じるなんて、とても気持ちが良いでしょうね」
「月見里さんは自転車は乗る?」
「いえ、おれは。実は運動はあまり得意ではなくて、自転車……、乗れなくて」
「意外だな。でも、あれだけ車の運転技術はあるんだから、きっと練習すればすぐに乗れるよ。それにタンデム仕様もあるし、なんなら今度はおれが、月見里さんを後ろに乗せてあの橋を渡るのも面白いな」
車の運転が上手くたって自転車にすぐに乗れる保証はない。でも、櫻井の広い背中越しに風を感じて海を渡るのは気持ちがいいかもしれない。そして疲れたら、その背中に凭れて休むのも……。
急に脳裏に浮かんだ妄想を慌てて打ち消す。ふるふると頭を振って雑念を追い払う優弦の横で、櫻井は案内図と実際の風景を見比べながら優弦に話しかける。
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