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第41話

「どこか? どこかって具体的には?」 「どこでもええよね。月見里さんは、いかがわしいとこなんか行かんって、信頼しとるもん」  由美は少し呂律が回っていない。どうやら飲酒をしているようだ。信頼とは、優弦が由美に対して不埒な真似をするはずがないということだろう。ご機嫌にフンフンと鼻歌を奏で始めた由美の様子をミラー越しに見て、優弦は仕方なく、いつも彼女を送っていたバス停から一番近いマリーナに行くことにした。  マリーナへ向かう道中、なんどか由美はバッグからスマートフォンを取り出して、誰かと短くメールのやり取りをしてはため息をついた。かと思えば、「月見里さんって、広島のひとなんよね。なのに全然広島弁でしゃべらんね。なんで?」と、聞いてくる。これが自分にしたい話なのかと、優弦は由美に付き合うことにした。 「東京で十年ほど暮らしましたし、お客様に馴れ馴れしく話すのはどうかなと思いまして。でも当然、身内や親しい人には広島弁がでますよ」 「ふーん、そうなんじゃ。……それって、櫻井さんが相手でも、広島弁でしゃべるってこと?」  どうしてそこで彼の名が出るのか不思議に思いつつ、「櫻井さんにも標準語です」と答えて、マリーナの駐車場に到着した。なるべく海に近いところに車を停めると、由美は、うわあ、と歓声を上げた。 「わたし、ここに来るのんは初めて! 高そうなクルーザーが停まっとるねえ。広島にもこんな船を持っとる人がおるんじゃね」  外灯が列をなして停泊する船を浮かび上がらせている。由美は車の外に出たいと我がままを言い始めた。最初は危ないから駄目だと言ったが、由美は酔っ払い特有のしつこさで頑として自分の主張を曲げない。優弦は仕方なくドアを開けて由美を外に出すと、自分も運転席から駐車場へと降り立った。  由美は広い駐車場を軽やかに横切り、勝手に海に面した小さな公園へと歩き始めた。優弦は彼女がなにをしたいのかがわからずに、慌ててその背中を追いかける。由美は公園の奥の波打ち際へと入り込み、オレンジ色に照らされた船と揺れる波間を見て、大げさに深呼吸をした。  海から吹く風はまだ身を切りそうに冷たい。由美はキャメルカラーのコートを着ているが優弦は制服の上着だけだ。隣に立ち、寒さに身を震わせていると由美が口を開いた。 「今日ね、プロジェクトの送別会だったんよ」 「送別会?」 「まだプロパーの人らやマネージャーは残るけどね。わたしや丸山くんのような派遣や協力会社の人は今日までだったんよ。来週からは皆、他の現場にばらばら。じゃけえ、櫻井さんとも今夜でさよなら」  ふふ、と由美は寂しそうに笑った。優弦は、外灯に浮かんだ少し憂《うれ》いげな彼女の横顔を眺める。すると、由美はなにかに気がついたのか、車の中で何度も繰り返していた行動をとった。バッグから取り出したスマートフォンを眺めた由美は、今度はムッとした表情でそれを耳に押し当てた。 「丸山くん、さっきからどしたんよ。はあ? 今どこにおるかって? 今は……」  由美が優弦を真っすぐに見た。 「ねえ、近くに櫻井さんはおる?」  いますよ、と由美のスマートフォンから丸山の声が漏れ出てくる。由美は優弦と視線を合わせたまま、にっこりと笑うと、いきなり大きな声で、 「今はねえ、月見里さんと一緒おるんよ。わたしらねぇ、実はふたりでラブホに来とるんよ」  急になにを言い出すのだろう。突然の由美の宣言に優弦は寒さも忘れてポカンと立ち尽くす。そんな優弦を目の前にして由美は愉しげに、 「え~? 別にええじゃん。関係ないじゃろぉ、わたしが誰とナニしようと。じゃあね、月見里さん待たせとるけえ、もう切るわ~」  朗らかに言った由美とは反対に、スマートフォンから丸山の絶叫が響きだす。それを無情にもブツリと切って、由美はゲラゲラと笑いだした。 「あ~、面白(おもしろ)ぉ。ほんまに丸山君はハッキリせんのんじゃけえ。もうちょっとシャキっとしたら、彼女もできるかもしれんのにねえ」  ひとしきり笑った由美が目尻に滲む涙を拭った。優弦はそんな由美に静かに口を開いた。 「……丸山さんの気持ちを知っていて嘘をいうのは酷ですね」  由美が驚きの表情を見せる。そして白く霞む息を大きくつくと、 「なんなんもお。そんなことも櫻井さんから聞いたん?」 「すみません。以前、尾道に行ったときに少しだけ聞きました」  はあ、ともう一度ため息をついて由美はガックリとうなだれた。

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