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第49話

*** 「ありゃあ、優弦。どうしたんじゃ? 今日はチャーターじゃったろうが」  いつもの川沿いの公園で車を停めていると、後ろに着いたタクシーから出てきた川本が大きな声で優弦の車の運転席に近寄ってきた。優弦はウインドウを下げると苦笑いで、 「キャンセルになったんです。でも営業車を遊ばせておくわけにも行かないですから、ちょっと流してました」 「ほうか。そりゃ残念じゃったのう」 「川本さんはこれから休憩して流川ですか?」  ほうよ、と言って川本は胸のポケットから煙草を取り出すと火を点けた。 「おまえもこのあと、行くんか?」 「はい。と言っても、今夜は仕事ではなくてちょっと食事に」  優弦の返事になにかがピンときたのか、川本は驚いて、 「珍しいのう、おまえが飲みに行くなんて。櫻井さんと行くんじゃろ」  櫻井と一緒だと言い当てられて、優弦はさらに苦笑いをする。友人もなく、仕事ばかりの優弦の普段の様子を知っている川本が櫻井を思い浮かべたのは、彼しか選択肢がないからだ。 「そりゃええわ。たまにゃあ、おまえも遊ばんと。真面目なんもええけど、まだ若いんじゃけえ、かわいいお姉ちゃんのおる店にでも連れていってもろうたらええが」  もう、川本との会話すべてに苦笑で応えるしかできない。川本は優弦の性癖を知らないし、男二人で歓楽街へと行くのだから、自分と照らし合わせてキャバクラにでも足を運ぶと思っているのだろう。 「ほんじゃ、ちょっとコンビニ行ってくるわ。もし、飲んだあとに迎えがいるんならおれを呼べよ」  吸い終わった煙草を律儀に携帯灰皿に突っ込むと、川本は公園脇のコンビニへと入っていった。  ウインドウを上げて、ふぅ、とひと息つくと今度は胸ポケットのスマートフォンが震え出す。櫻井からの着信に心持ち弾んだ声で電話を取った。 「今日はすまなかったね。今はなにをしているんだ?」 「実は仕事をしています。家にいてもすることがないので。これから一旦帰って着替えてこようとしていたところです」 「わかった。おれも昼過ぎにジェイクを見送ってオフィスにいるところだ。こっちはもう少しかかるけれど、約束の八時には間に合うから。今から優弦に逢うのが楽しみで仕方がないよ」  櫻井とこうして待ち合わせて酒を飲むなんて初めてで、優弦も朝から少し浮かれていた。それにホテルに行く、なんてことも。  はい、と小さな返事をしてスマートフォンをポケットに仕舞う。制服の内ポケットに滑り落ちた電子機器の発する熱で、じわりと胸が温かくなった。  ルームミラーで後方を確認すると、車一台分ほど間を開けて停まっているタクシーの中の川本の様子が見てとれる。一応、帰る挨拶をしておこうかとドアを開こうとしたときだった。川沿いの遊歩道から出てきたひとりの男が車道を渡ると、あっという間に優弦の車に近づいてガラスの向うから運転席を覗き込んできた。  優弦がウインドウを下げると、スーツ姿で黒縁の眼鏡をかけた男は、「広島駅まで行きたいのだが乗せてくれないかね」と、申し出る。ここから広島駅までは徒歩でも十分くらいだ。もしかしたら、県外から来たビジネスマンかなにかで土地勘がないのだろう。  優弦はこの客を本日最後にしようと、「かしこまりました。どうぞ」と、後部座席のドアを開けた。男は五十過ぎだろうか。座席に乗り込むと俯き加減でも、眼鏡の向こうから車内に忙しなく視線を飛ばしているのが分かる。 「お客様、南口ですか? それとも北口でしょうか?」 「……新幹線口に行ってくれ」  休憩をしていた公園をあとにする。途中、赤信号に止められても広島駅北口までは五分ほど。なんの障害もなく車を走らせていると、後ろの客から、「すまないが、行き先を変更してもいいかね」と、唐突に声をかけられた。 「はい、どちらに行けばよろしいですか」 「……プレミアリゾート広島まで」  男が言ったホテルの名前を聞いて小さく驚いた。 (広島港近くの高級リゾートホテルじゃないか……)  市内中心部からも離れているそのホテルを出張に来たビジネスマンが使うとは思えない。しかしそれ以降、男は口を閉じてしまい、優弦は仕方なく今度は海へ向けて車を走らせることとなった。

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