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第53話
いつの間に部屋に戻ってきたのか、右手にスマートフォンを持ったジェイクが左手のシャンパングラスに唇を寄せて、優雅に壁に凭れたまま優弦の様子を見て言った。その冷たい声に優弦は怯みそうになりながらもジェイクにきつく視線を向けて、
「……それなら、これを外してください」
「駄目だ。それを外した途端、おまえはまた私の前からいなくなるのだろう?」
ジェイクはテーブルの上にスマートフォンを放り投げると、飲み干したシャンパングラスも置いて、キングサイズのベッドに右膝をかけた。スプリングを軋ませながらマットレスの上を近づいてくるジェイクを避けようと、優弦はじりじりと後ずさる。しかし、優弦の背中は無情にもヘッドボードに阻まれてしまった。
優弦を追い詰めたジェイクがゆっくりと右手を延ばす。近づいてきた指先は、思わずびくりと目を閉じた優弦の左頬に迷いなく触れる。
「相変わらず柔らかくて艶やかな肌をしている」
ジェイクは指先を顎下から首を滑らせ、鎖骨をなぞって浅く息をして動く優弦の胸に手のひらを這わせた。
「あの頃のままだ。しっとりと温かく吸いついて離せない」
ジェイクの緑の瞳に欲情の色が走る。
「忘れられなかった。この輝く肌の色も感触も。そして、私だけを迎えてくれた焼ける熱と締めつけが。……だが、この体は今は私だけのものではないようだ」
今度はその瞳に険しいものが現れた。胸に押し当てられていた手のひらが皮膚の上を移動する。シャツの袷から緊張にツンと固くなった桜色の尖りにジェイクの指がかかった。
思わず小さく震えた優弦に、
「可愛らしい。恥じらうさまもあの頃のままか。本当におまえは……」
ジェイクの唇が優弦の唇に吸い寄せられるように近づいてきた。吐息が優弦の顔を掠め、微かにシャンパンの甘い香りを嗅ぎ取ったとき、優弦は唇が重なる寸前に大きく顔を背けて、
「……どうして今さらおれを……」
緊張に高くなる声で、それでも優弦は懸命に問いかけた。優弦の精一杯の強がりをジェイクは軽く笑っていなすと、
「決まっている。おまえを私の傍に置いておくためだ」
「傍に? おれの存在なんて、あなたには邪魔なだけじゃ……」
ジェイクの視線を間近に感じる。優弦はその視線から逃れようとさらに顔を背けた。
「どうして私がおまえを邪魔者にしなくてはならない? 今でもこんなにも愛しているのに。たとえ、おまえに騙され、あんな形で日本を離れても夢に見るのはおまえのことばかりだった。本国にかえってからは後悔ばかりしたよ。あんなことになるのなら、あの朝、無理矢理にでもおまえを連れて行けばよかったと」
過ぎた日の後悔なら、優弦だって今でも夢で魘される程にしている。もう、あの頃の傷を思い出したくはない。東京を逃げだし、佐川の兄にも本当のことを告げず、少しずつ少しずつ、自分の舌で舐めるように治していった傷のことは。
それだけではない。今のジェイクの傲慢な態度。たしかに出会った頃も傲岸不遜なところはあったが、それでも優弦には優しく接してくれた。それなのに今は優弦を愛していると言いながら、逃げられないようにと自由を奪っている。そして、優弦には理解できない言葉を言う。
(おれに騙されたとは、どういうことだ)
「優弦、私の質問に答えろ。マサキには何度、抱かれた?」
質問ではなく、その口調は詰問だ。優弦は言いたくないと唇を噛む。優弦のその態度をジェイクは冷たく、
「では質問を変える。私の元から消えたあと、何人の男と寝たんだ。おまえはなぜ、命じられるがままに、他の男に体を開いた?」
ジェイクの問いの意味がわからない。彼はなにを聞きたいんだ。そして、なぜこんなに憤っているのだ。
「なぜ、そんなことを聞くの? それにおれはあなたの前から消えたわけじゃない。消えたと言うのならあなたのほうじゃないか」
ぴくりとジェイクの端整な顔が動く。しかし、すぐにジェイクはハッと嗤うと、
「今さらそんな白々しい返事を聞くとは。やはりおまえがシマノの旧体制の役員たちの手先というのは本当だったんだな」
優弦は大きく目を見開いた。シマノの旧体制とは当時の社長派だ。彼らはジェイクの敵対勢力だった。シマノの社長として赴任したジェイクは当初から旧社長派の攻撃に曝されていたのだ。
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