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第54話

 それを知ったのはジェイクがいなくなってからだ。平社員だった優弦はシマノ上層部の争いなんて知らなかった。当時のジェイクは付き合っていた優弦には、権力争いの様相など微塵も見せなかった。なのに、今になってジェイクは優弦が旧社長派の人間だと疑っている。 「違うっ。おれはっ」 「なにが違うんだ。おまえは私を追い落とすために奴らから仕向けられたんだろう? 奴らの思惑通りに私はおまえを愛してしまった。でも、それは後悔していない」  ジェイクの指先が優弦に近づく。真っすぐに左目を狙い、延びてくる指先に優弦はギュッと瞼を閉じた。ジェイクの指先は優弦の左目尻の下をそっと押さえて、 「この泣きぼくろに、男たちを籠絡する魔力があるのか? 皆、おまえのその妖しい魅力に夢中になり、そして狂わされていく……」  優弦の脳裏に幼い頃の記憶が甦る。  自分と同じ顔をした母の姿。夜の街を浮遊しては男を魅了し、彼らを虜にしていく。  夕闇が迫るアパートにひとり、夜の仕事に出る母を見送るたびに思った。母はどうやっていつも違う男の人を家に連れてくるのだろう。なにも知らず、無邪気に聞いた幼い優弦に、母は煙草を燻らせながらおかしそうに笑うと左目の下の泣きぼくろを指差して、 「このほくろには魅惑の魔法がかかっているの。これを見ると皆、あたしを好きになって優しくしてくれるのよ。ほら、あんたはあたしの息子だから同じところにほくろがあるでしょ? きっと、あんたも同じ魔法が使えるわ。皆に可愛がってもらえる魔法がね」  あれは母の作り話だ。そう思いたい。でも、そうと言い切れない体験を優弦はしてきた。  学校の教師に仲の良かった同級生。大学のゼミの先輩、会社の上司。そして、母が連れてきた男たち。  皆、優弦を可愛がり親切にしながら、あるときを境に狂っていった。優弦を好きだと言い、好きだからセックスがしたいと言い、拒むと暴力に訴える。大切にしたいと言いながら彼らは優弦を傷つける。愛を叫びながら獣になる。  自分から人に媚びたり、色目を使ったことはない。それでも、気がつくと理不尽な性の対象として見られてきた。あんな女の子供だからと陰口を言われ、馬鹿にされ……。  ジェイクのことは真剣に愛していた。愛されていると思っていた。なのに……。  彼はそれをまやかしだったと言うのか?  だからおれは捨てられたのか?  だから、あんな酷いことを平気でおれに……。 「ユヅル、なにも反論しないのか」  黙っていた優弦にジェイクの瞳が険しく輝く。 「やはり、あの告発文はおまえが書いたのか。それにシマノへの融資を引き出すためにサーバルの幹部と寝たのも」  ――どくんっ。  優弦の記憶の底が大きく軋む。 「シマノのためとはいえ、なぜあんな命令に従った。それでおまえにどんな見返りがあったんだ」 (なに? なにを言っている? まさか、おれが自分の意志であんなことをしたと……?) 「あっ、あれはあなたがっ!」  急に胸が詰まった。小さな頭痛が始り、その痛みは徐々に脳に拡がっていく。 「粗野なアメリカ人を手玉に取るなど、簡単だっただろうな。そうでなくても、サーバルの幹部連中は、あのパーティーで初めておまえを見たときも、おまえに対する淫猥な視線を隠さなかった。私がいなくなったあと、旧社長派がBSSHの者たちを追い出し、サーバルを招き入れるのにおまえもひと役買ったわけだ」   がんがんと痛みに苛まれる中で優弦は、違う! と叫んだ。しかしジェイクは、そんな悲痛な叫びが聴こえないのか、いきなり優弦を押し倒すと、 「どんなに汚れていようとも、おまえは私のものだよ、ユヅル。あの日から私はひたすらにおまえを想い、そして、私を貶めた奴らに復讐しようと生きてきた。シマノに巣くっていた癌細胞はすべて消滅させた。今やサーバルも虫の息だ。父も弱り、一族も掌握した。誰も私を阻む者はいないし、邪魔する者は排除する。例えそれがマサキであっても」 「んっ! んんっ!」  ジェイクが激しく優弦の唇を食む。無理に抉じ開けられた隙間から舌が入り込み、優弦の咥内を舐め回す。そこには慈しみもいたわりもない、ただ、己の身の内の劣情をぶつけるだけの粗いキスだ。 

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