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第58話

「なんじゃそりゃ。たしかに優弦は男にしてはえらいベッピンじゃし、体も細うて女っぽいところはあるけど、どうしたって男を女の代わりにはできん……」  はた、と川本の口が止まった。代わりに櫻井が、 「まさか旧社長派はBSSHの機密情報をサーバルに横流ししようと、優弦にスパイの真似事までさせたんじゃないでしょうね」 「それは私にはわからない。でも、旧社長派の目論見通りにハワード氏は彼を気に入ってね。新たな通訳などいらないと彼を片時も離さなくなった。システム部から彼を秘書に転籍させて、どこに行くにも同行させた。そのうち、自分の東京のマンションにまで彼を住まわせて、『あの外国人社長は日本に来て陰間遊びに夢中だ』と、揶揄する者までいたよ」  あまりの酷い言いように櫻井は眉間に皺を寄せた。外していた眼鏡をかけ直すと赤城は櫻井に視線を向けた。そして、 「二人は深く愛しあうようになっていた。それを旧社長派は格好のスキャンダルとして英国のハワード氏の父親に告発した。彼がシマノの男性社員を性奴隷にしているとの報告書を作成し、イギリスへ送りつけたんだ。君はハワード氏と親友だそうだから、彼の父親がどれだけ清廉潔白な御仁なのかは知っているだろう?」  櫻井はすべてわかってしまった。ジェイクが急に日本を去り、今までに本人からその存在を聞いたことのなかった婚約者と結婚した経緯を。  英国貴族である彼の父親は、息子のスキャンダルに激怒したのだろう。イギリスは同姓婚が認められてはいるが、一族を率いて行く長男のジェイクに対しては到底容認できるものではなかったのだ。 「ハワード氏が去ってシマノは旧社長派が息を吹き返した。彼らは早速、サーバルと大々的に手を結んで、シマノを好き勝手にし始めた。BSSHは物言う親だが、サーバルは儲けさえあれば放任主義だからね。そして彼らは残された月見里の処遇をどうするか決めなくてはならなかった。そこで彼らが月見里に新たに与えた仕事は……」  赤城が胸ポケットからスマートフォンを取り出す。 「ハワード社長からだ」  櫻井が出るように促すと彼は短く対応をして、すぐに電話を切った。 「君たちが来たかと聞いてきた。それに彼が目を覚ましたと」  早く助けに行こう、という川本に被せるように赤城は、 「やけに社長の機嫌がいい。もしかしたら彼が眠っている間に、すでに積年の想いを遂げたかもしれない」  ハアッ!? と川本が赤城に詰め寄る。櫻井は川本を制して、 「えらくジェイクに忠義的だが、あなたは一体、会長派と社長派、どっちだったんだ」 「私はどっち付かずの蝙蝠だった。当時は営業部の部長でね。ハワード氏が本国に発ってすぐに旧社長派の常務が月見里を営業部で面倒をみろと言ってきた。但し、彼に従来の営業業務をさせてはならない、彼にしかできない特別な仕事があると言われたんだ。私はそれがなんなのか、事前に知らされていなかった。だが……」  赤城の眼鏡の奥の目つきが当時を思い出して厳しくなった。その様相に櫻井は、ハッと息を呑むと、 「まさか……、アンタたちは優弦にサーバルの奴らの相手をさせたのかっ!?」  一気に櫻井の纏う空気が怒りに満ちた。それを感じた川本が戸惑いながら、 「相手をさせたって……、もしかして、枕営業ってこと? わあっ、ちょお、やめえっ!」  かっとなり、赤城に掴みかかった櫻井を川本が慌てて止める。 「ふざけるなっ! 優弦がなにをしたというんだっ。ジェイクを好きになった、それだけじゃないか! なのにおまえたちはっ」 「君の怒りもわかる。しかし当時の私にはあの場面を止められるだけの力がなかった。それにサーバルの奴らから、『追加融資をしてもらいたいのなら、ジェイク・ハワードの男だった月見里を召し出せ』と、要望があったんだ。それを旧社長派は断れなかった」 「だから今度は奴らの玩具にしたわけか? 優弦がゲイだから、男だから、奴らの慰み者になっても大したことはないだろうと?」 「たしかに最初はそう思った。でも、あまりに悲惨で憐れな彼の姿が可哀想で、私は月見里を見逃がしたんだ! そしてそのあと、旧社長派の目を盗んでハワード氏にシマノの現状と彼らの不正を伝えて……」 「それは贖罪でもなんでもない!」  櫻井の鋭い指摘に赤城が息を呑んだ。そのとき、 「アーッ、もうええ加減にせえっ!」  川本の怒号が広いロビーに谺した。あまりの大声に奥のフロントからホテルの従業員が何事かとこちらを窺っている。 「くそっ、胸糞わりい。今は優弦を助けることが優先じゃろうが。櫻井さん、しっかりせえ!」  川本に怒鳴られて櫻井は冷静を取り戻す。そうだ、今はとにかく優弦を助けなければ。 「案内してください、赤城さん」  赤城はしばらく動きを止め、やがて観念したのか上着の内ポケットから一枚のカードを取り出した。 「これはハワード社長が宿泊している部屋のカードキーだ」  差し出されたカードキーを受け取り、櫻井は踵を返す。すると、 「ハワード社長は今も月見里を愛しておられる。何度も極秘に来日して彼の行方を探していた。本当ならこんな犯罪紛いなことをするつもりはなかったんだ。だが……、君が彼の傍にいることに焦りを感じたのかもしれない」  虚ろな視線で呟いた赤城を見下ろして、櫻井は少し胸が詰まる思いがした。  櫻井は、ついてこようとしていた川本に、 「川本さん、申し訳ありませんがここから先はひとりで行きます。必ず優弦は無事に連れて帰りますから、彼とここで待っていてください」  えっ、ちょっと! と慌てる川本を置き去りにして、櫻井はエレベーターホールへと駆け出した。

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