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第59話

***  カードキーで重厚な作りの扉を開け、豪奢な応接間を横切ってもう一つの扉を開けると、目に飛び込んで来たのはキングサイズのベッドの上で優弦に覆い被さっているジェイクの背中だった。短く叫び、彼らに近寄ったところで、その様相が尋常ではないことに櫻井は気がついた。 「ユヅルッ! しっかりしてくれっ!」  初めて聴くジェイクの焦った声に櫻井もマットレスに飛び乗ると、喉に手をあて苦しげに藻掻く優弦の姿に愕然とした。 「ジェイク、なにがあった」 「わからないんだ。急に呼吸が粗くなって苦しみはじめて……」  アナフィラキシーショックだろうか。ヒッヒッと細かく息を吸い込み、涙を流す優弦がなにかを伝えようと口を開ける。だが、ひゅうひゅうと喉がなるばかりで声にならない。 「ここに連れてきてから優弦になにかを食わせたか?」 「いや、彼は気を失っていたからなにも」  苦しむ優弦と視線が合う。途端に優弦の意識が飛びそうになるのがわかった。 (これは過呼吸だ)  櫻井はジェイクを優弦から引き剥がすと、顔色のない頬を軽く叩いた。 「優弦、落ち着いて。意識を保つんだ」  フッと優弦の目に僅かな光が戻った。 「いいか、ゆっくり息を吐くんだ。そう、ゆっくり」  くつろげられた優弦のシャツの上に手を置いてトン、トン、とリズムを打つ。優弦はぎゅっと目を瞑りながらも細く長く息を吐き出した。 「そう、いい子だ。今度はゆっくり吸い込んで。焦らなくていい」  すぅ、と優弦が空気を取り込む微かな音が響き始める。新鮮な空気が少しずつ取り込まれて、優弦は胸の痛みが和らいでいくのを感じた。  何度か櫻井の紡ぎ出す軽いリズムに合わせて呼吸を繰り返すと、体の痺れも治まって、意識もはっきりとしてきた。優弦は大きく吐息をつくと、「櫻井さん」と彼の名を呼び、目尻から涙を溢した。 「もう大丈夫だ、優弦」  自分を見おろす櫻井の安堵の表情。その少し後ろには髪を乱したジェイクが見える。ジェイクの表情にはまだ不安が残っていた。 (助かった……)  両目から流れる涙が後を絶たず、優弦はネクタイで縛られたままの手で目蓋を拭った。それを見ていた櫻井の顔がみるみる険しくなり、あっという間に手首の縛めを解くと、二の腕を引っ張って優弦の上半身をゆっくりと引き起こした。  肩に廻された櫻井の腕の中で漸く優弦は安心を得られる。しかし、櫻井はうなだれるジェイクを睨みつけて、 「これはどういうことだ、ジェイク! 君は優弦を愛しているんだろう。それなのになぜ、こんな酷いことを。こんなレイプ紛いのことをして、優弦の気持ちを取り戻せるとでも思っているのか!?」  櫻井の気迫に圧され、ジェイクは優弦を見つめたあと、その緑色の瞳を苦しそうに歪めて口を開いた。 「あれは、私がユヅルと恋人となって一年経った頃だ。父から急に本国へ戻ってこいと連絡があった」  ジェイクはいつもの定期報告だろうと、一週間したら戻ってくると優弦に言って日本をあとにした。ところが帰国したジェイクを待っていたのは怒りに満ちた父の顔と、 「日本から送られてきたという分厚い報告書だ。それを前に父だけではなく親族一同に、ここに書いてあることは本当なのか、と詰め寄られた。その書類はユヅルとの不適切な交際の報告書だった。報告書には私に強要され、仕方なくセックスに応じるしかなかったとのユヅルの告発文と彼のサインが添えられていたんだ」  優弦は驚きの視線をジェイクに向けた。 「……そんな報告書なんて知らないし、サインもしていない……」 「ジェイク、君はシマノの旧役員たちに嵌められたんだ。そしてそれは巧妙な罠だった。君と優弦の出逢いは最初から、こうしてスキャンダルを理由にBSSHを退去させるために仕組まれたものだったんだ」  櫻井の告白にジェイクの顔色が青ざめる。 「そうか……。私たちの出逢いは運命ではなかったのか。でも、それでも、あの頃の私たちはたしかに愛しあっていた。ユヅルが私を受け入れてくれた事実を、私が周囲の虚言に揺らぐことなく信じていれば良かったのに……」

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