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第64話

 背後から首を絞められ、優弦は霞む意識のなかで死を悟った。でも、なぜかそれは怖くなかった。命を奪われることの恐怖を感じる心は、すでに優弦のなかに残ってはいなかった。ジェイクにもう会えないのなら、このまま死んでしまうのもいいかとさえ思ってしまった。そして優弦の視界は消えていった。  意識を取り戻したときに目の前にいたのは、先に帰ったはずの赤城だった。意識を失い、動かなくなった優弦を、殺してしまったと勘違いした男が赤城に連絡をしたのだ。赤城は男に追い立てられたあと、あまりの不審な出来事にホテルを出ることを躊躇(ためら)い、優弦が戻ってくるまでとロビーで待っていたのだ。  男は目を覚ました優弦を見て、部屋の隅で頭を抱えて泣いていた。男に殴られ、白い肌に鬱血した痕を無数に浮かべてぐったりとしている優弦を見おろす赤城の視線には、戸惑いと憐れみが浮かんでいた。赤城は男からすべてを聞いたといい、眉間に皺を寄せ、苦しそうに唇を震わせながら言った。 「月見里、悪いことは言わない。君は会社を辞めなさい」 (……会社を辞める? そんなことをしたら、あの人に逢えなくなってしまう。必ず帰ると言ったあの人をおれが待っていないと……) 「この会社は近い内にサーバルに乗っ取られる。君はシマノにいる限り、彼らの慰みものになるぞ。それでいいのか?」 (あり得ない。ジェイクが帰ってきたら、こんなことは……) 「君には酷な話だが、ハワード氏が戻ってくることはない。BSSHはシマノから手を引いた。ハワード氏は本社で要職につき、そして……、結婚したそうだ」 (――結婚……?) 「……、うそ、だ……」 「まさか君は知らなかったのか? ハワード氏には本国に婚約者がいらっしゃったんだ。今回の帰国はその令嬢との結婚のためだそうだ」 (婚約者? そんな話はジェイクから聞いていない。結婚って? だって、帰ってきたら二人で南の島に旅行に行こうって……)  虚ろに見上げた赤城の表情は、彼が嘘偽りを言ってはいないことを物語っていた。 (愛していると言ってくれたのに、あれは嘘だったんだ。おれは、ジェイクに捨てられた……)  心配そうな赤城の顔が滲んでいく。ひとつ瞬きをすると、目尻から温かなものがこめかみに向けて零れ落ちる。 「ひ……っ、う、うぅ……」  あれほど恐怖と痛みに涙したのに、瞳は枯れることなく新たな雫を溢れさせた。優弦は穢された体を隠すこともせずに、天井を見上げたまま声を殺して泣き続けた。

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