3 / 146
第3話
それは今からちょうど一年程前のことだった。
路上ライブで見掛けて以来、彼らを気に入った氷川が度々川崎へ出向いては、その様子を窺いに顔を出していた或る日のことだ。
その日は格別の約束をしていたわけでもなかったが、偶然に時間が取れた合間を使って彼らに会いに繁華街を訪れた時だった。いつもライブを行っているはずの場所に行ったが見当たらないので、仕方なく辺りを少しブラついてから、諦めて撤収しようと思った矢先のことだった。どこそこごまかしてはいるものの、よくよく見れば制服姿のまま、繁華街の裏路地付近でコソコソと人目を忍ぶようにしている彼らと出くわしたのだ。
立地的に見ても、そこから先はラブホテルの立ち並ぶ、いわばホテル街として知れた場所柄だ。奇妙な場所で鉢合わせたのを怪訝に思い、『こんなところで何をしているんだ』と訊くも、モジモジと顔を赤らめながら視線を反らす二人の様子を見ただけでピンときた。男同士でありながら彼らが付き合っているだろうこと、それと同時に既に深い関係にあるだろうことなども容易に想像がついた。
この時の彼らは、氷川にスカウトの声を掛けられて間もない頃だったのもあって、こんなことがバレた以上、今回の話は無かったことにされるのではと相当焦ったようだった。だが氷川は、そんなものは個々の自由だからと言って、あっさりと容認してみせたのだ。これには二人の方が余程驚かされたくらいだった。
とにかく音楽活動をする上で、お前らが恋愛関係にあるかどうかなど大した支障にはならない、むしろ喜ばしいくらいだなどという氷川の真意の方が理解できなかった程である。
そんな調子だから、メジャーデビューを果たして以降も、そのことに関して事務所側からうるさく干渉されるようなこともないままに、今日まできた。遼平と紫苑にとっては有り難くもあったわけだが、その一方で、寛容過ぎる氷川のやり方を逆に疑ってしまうことも無きにしもあらずといったところだった。
そして今もまた、『お前らをスカウトした理由はお前らがゲイで乳くり合っている間柄だからだ』などと平気で言う。そんなことには理解を示すくせに、音楽のこととなると、まるでこちらの意向を聞こうともしない傲慢なプロデュースばかりを仕掛けてよこす。いったいこの男は何を考えているのかと、ますます苛立ちは増すばかりだった。
「とにかく――、俺はお前らの曲に興味は無え。ついでに言っておくなら次のシングルの予定を変えるつもりも全くない。分かったらごちゃごちゃ言ってねえで少しは歌詞くらい覚える努力でもしておくんだな」
「……ッな……っ!?」
「毎度毎度譜面を追わなきゃ満足に歌えもしねえんじゃ、スタッフも世話が焼けて仕方ねえしな?」
淡々と突き放されて、紫苑は怒りを抑えきれずにビクビクと眉間の皺を震わせた。
最早何がどうなっても構わないというくらいに煮えたぎった彼の感情は、行き場を失くして色白の頬を真っ赤に紅潮させてもいる。そんな様子に遼平の方が、
「じゃ、氷川さんは俺らの音楽のことは全然認めてくれてないってことですか……? けどそれじゃ、歌やってる意味ねえじゃん。俺ら、そんなに才能無えんなら、なんでスカウトなんかしたんだよ」
真剣な顔つきでそう訊いた。
「才能が無えなんて、俺はひと言も言ってねえよ。面構えと声質、それだけありゃ十分だ。立派に誇れる大した才能だ。あとはそれを生かすか殺すかはお前らの心構え次第――」
そこまで言い掛けたところで、再び振り上げられた紫苑の拳が卓上を叩く音で、その先の台詞がさえぎられた。
「もういいよ……ッ、別にあんたにプロデュースしてもらわなくたって……俺らのこと認めてくれる事務所は他にもあるはずだ……ッ! それに……もし拾ってくれる所がどこも無えってんなら、また路上ライブしてた頃に戻るまでだぜ! その方が……ッ、あんたなんかんトコにいるよりよっぽどいい――」
紫苑はところどころ声を嗄らすようにしながらそう吐き捨てると、まるでこれ見よがしに『お世話になりました』とでもいうようにペコッと軽く頭だけを下げて見せ、そしてすぐさま部屋を飛び出して行った。そんな様子に遼平も同様に会釈だけをすると、無言のまま紫苑の後を追うようにその場を後にした。
◇ ◇ ◇
ともだちにシェアしよう!