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第23話

「さっきはその……紫月のヤツが酷えことしちまって済まなかったな。あいつ……お前を殴ったりして……」  弔問の帰り道、もうすっかりと暗くなった晩夏の坂道を下りながら、剛は目の前を歩く氷川の背中越しにそう言った。 「紫月は俺らのダチなのに……お前に迷惑掛けちまった……。あいつさ、遼二亡くなってからずっと腑抜けみてえになってて……俺らじゃナンもしてやれなくて、なのにお前を見た瞬間にあんなんなって……ッ、情けねえよな、俺ら」  その言葉に氷川は歩を止め、後方を振り返った。  うつむいたまま肩を震わせ、涙を堪えるように顔をクシャクシャに歪めているのが痛々しい。 「清水――」  さすがに掛ける言葉が見つからない。  彼の言いたいことはよく分かった。  彼らの仲間であるはずの紫月が、彼らには何の反応もしなかったというのに、大した付き合いもない自分を目にした途端、突如意識を揺さぶられたように狂気した。例えそれが暴力という形であったにせよ、とにかく彼の意識に何らかの影響を与えたことは確かだったからだ。  そんなものを見せつけられた剛らにしてみれは、自分たちでは何の力にもなれなかったことが腹立たしくもあり、情けなくもあって仕方がないのだろう。やりどころのない気持ちを噛み締めるような感情が痛い程に伝わってきた。  しばらくは互いに無言のままで坂を下りる。緩やかなカーブに差し掛かった所で後ろを振り返れば、ずっとうつむいたままトボトボと後を付いて来る剛の横に並ぶようにして、氷川は歩を止めた。 「俺、前にあいつらとやり合ったことがあるって言ったろ? そん時、一之宮の目の前でカネ(鐘崎)をボロくそに殴ったんだよ……」 「え――!?」  突然の告白に、剛はハッとしたように氷川を見やった。 「あの頃――、カネはちょうど桃稜の不良連中に罠に掛けられて、集団暴行を受けた直後でな。入院までするハメになったのはお前も知ってるだろ? 俺らがやり合ったのは、ヤツが退院して来たその日のことだったよ」  そのことならよく覚えていた。それはまだ高等部の三年になったばかりの頃のことだ。犬猿の仲だった桃稜学園の不良連中が遼二をワナにかけるような形で暴行し、そのせいで彼は二~三日の入院を余儀なくされたという、そんな事件だった。その直後、紫月がたった一人で報復に乗り込み、そこの番格だった氷川と一対一の対番勝負をする流れになったということを、当の本人たちから聞いたことがある。 「けどッ、あん時はアンタが気を利かしてタイマンに持ち込んでくれたお陰で……結果的に紫月は桃稜の連中から集団リンチに遭うはずのところを救ってもらったような形になったって、ヤツらそう言ってたぜ?」  そうだ。いくら紫月が武道に長けていたといっても、その時の桃稜勢は二十人余り。そんな大人数を相手にすれば、おのずと結果は知れている。  それを回避するかのように、たまたま居合わせた氷川が自分の仲間たちをすべて追い払って、一対一の勝負でケリを付けるよう取り計らったというのだ。ちょうどその日に退院した遼二が現場に駆け付けて、二対一での勝負となり、だがこちらは二人揃ったにも係わらず、どうにも勝ち目がないくらいに氷川は強かった――と、そんなふうに聞いていた。  その計らいはひどく粋で、癪に障るくらい度量を感じさせられるようでもあって――そんなところからもさすがに『桃稜の白虎』と敬われているのを認めざるを得なかった。当時は何かと氷川について噂をしては悔しがったものだ。  そんな彼が紫月の目の前で遼二をめった打ちにしたなどとは信じられずに、剛は何とも言いようのない表情で押し黙ってしまった。  坂を降り切った曲がり角を過ぎれば、埠頭の灯りと工場の白煙が混じり合って、夜空を緑灰色に染めているのが見えた。いつもの見慣れたはずの風景が、今日は何とも重苦しくてどうしょうもない。 「一之宮は……俺のツラを見て、そん時のことを思い出したのかも知れない。何より大事な相手をボロくそにのめした俺のことが、強烈な印象としてヤツの中に蘇ったのかもな」  苦めの笑みと共にそんなことを言った氷川に、剛は少し驚いたように瞳を見開き、そしてすぐにうつむいた。 「なあ氷川、お前……もしかして……知ってたってか……?」

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