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第38話
「てめえ、まだそんな体力残ってやがったのかっ!? ふざけたマネしやがって――!」
スローモーションだった映像が、突如速さを取り戻し、そう感じた時には既に切っ先が目前にあった。刃物を小脇に握り締めたまま、身体ごと体当たりするかのような勢いで突っ込んできた男の形相が醜く歪み、そんなところだけが鮮明な残像となって再びスローに切り取られて映る。
だめだ、間に合わない――!
咄嗟に倫周をかばうように、自らの胸の中へと抱き包み、紫月はギュッと瞳を瞑った。
◇ ◇ ◇
何故だろう、不思議と痛みは感じられない。
そりゃ、身体中を殴られ蹴られした後だから、今更別の痛みなんてものは感じないのかも知れないけれど。
それにしても刃物で刺された痛みが分からないだなんて。あんまりにも衝撃が強過ぎると、案外そんなもんなのかよ?
腕の中に抱き締めたこいつは……ああ、よかった。ちゃんと生きてる。大きな瞳をグリグリさせながら俺を見つめてる。びっくりしたような表情で絶句したままだけど。
悪かったな、怖い思いさせちまった。だけどもう大丈夫。このチンピラ共だって、俺を刺したことで少なからず衝撃を受けてるだろうから。きっとこれ以上酷い目に遭うこともないだろうぜ。
そうだ、これで終わる。
きっと俺は大怪我してて、もしかしたら死んじまうのかも……。でもそしたら……あいつに逢えるのかな?
そうだ、これで俺、やっと遼二の元にいけるのかな?
そんなことを思い巡らせていたのはほんの束の間だったのだろうか、倫周を抱き締めたまましゃがみ込んでいた砂利の上に、鈍く光るナイフが乾いた音を立てて落下したのを呆然と目で追った。
何故だろう、刺されたはずなのにどこにも血の痕が付いていない銀色のそれが不思議で、しばし釘付けにさせられる。その直後、ナイフに続くようにして男の身体がドサリと砂利の上に倒れ落ちてきたのに、驚いて頭上を見上げた。
そこにはなめらかそうな質感の、墨色のロングコートを羽織った男の足元が映り込み――
そのまま徐々に視線を上へと動かせば、見事な程の濡羽色のストレートをバックに撫でつけた、見覚えのある男の顔が月明かりに照らされ浮かび上がった。
――――――――!
まさかこの男が助けてくれたというわけか――、そんな思いと共に急激に静まり返ってしまったような辺りを見渡せば、彼と同じような闇色の服に身を包んだ男たち数人の姿が視界に飛び込んできた。
剛や帝斗らを見張っていたはずのチンピラたちも、ダークスーツの男たちの足元で既にノビている。当の剛たちは彼らに介抱されている様子で、トタン板で囲まれた空き地の入り口付近には、黒塗りの高級車が数台停まっているのも分かった。
彼らが敵ではないということと、誰の連れであるのかもぼんやりと理解できる。だがあまりにも突然のことに、意識がうまく回ってはくれないのも確かだ。
呆然とその場にうずくまったままの紫月の意識を揺らしたのは、やはり聞き覚えのある声音――
「手間かけさせんじゃねえよ、一之宮――」
落ち着き払った低音で、憎らしい程に余裕の感じられる見知ったその声は、思った通り、まぎれもなく氷川白夜のものだった。
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