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第39話

 『手間かけさせんじゃねえよ、一之宮――』  そう言ったのはまぎれもなく氷川白夜――いや正確には氷川白夜という名で学生時代に番を張り合ったことのある男、実の名を『周焔白龍』という。彼は香港に拠点を置く『xuanwu』というチャイニーズマフィアの頭領を父に持つ男だった。 「ひ……かわ……? な……んで、てめえが……」  何故この男がこんな所にいるんだろう、そう思ったのはむしろ紫月当人よりも剛や京たちの方だったかも知れない。  数人のダークスーツの男たちはどう見ても一般人といった雰囲気ではなく、かといって今まで自分たちに絡んでいたヤクザ風の男たちともまるで違う。説明を受けるまでもなく、氷川の連れてきた配下に違いないのだろう。  こんなふうな光景を目の当たりにすると、彼が本当に自分たちとは一線を画した世界に生きているのだということを実感させられるようで、軽く硬直状態に陥らされる。無論、彼当人をとってみても、威風堂々とした何とも言い表しようのない尊大さを持ち合わせているのは確かで、そんな雰囲気は以前にも増しているように感じられる。おおよそ自分たちと同い年には思えない程に大人びて見えるのは、やはり彼の置かれている世界が特殊なせいだろうか。  それ以前に、こんな裏路地の入り組んだ場所をよくぞ突き止めたというか、あまりにタイミングよく現れたというか、それも彼らの組織の成せる技なのかということをはじめ、とにかく訊きたいことは山ほどある。特に剛にとってみれば、通夜の日の約束以来、氷川と音信不通になっていたことが非常に気に掛かってもいたので、いったい彼が今までどこでどうしていたのかということに、気が焦って仕方ないというところだっただろう。  だが氷川はそんな一同を他所に、紫月だけをじっと捉えると、 「お前、こんなトコで何やってんだ――」  一見、冷ややかとも取れる調子の落ち付き払った声でそう訊いた。そして、いきなりのことに何も反応できずにいる紫月を怪訝そうな目で観察しながら放ったのは、遠慮のかけらもないような台詞だった。 「ダチを危険な目に遭わせて、その上てめえまでこの野良犬どもにくれてやるつもりだったか? 要は、全然立ち直れてねえってことか」  その言葉に、呆然としたままだった紫月の瞳がカッと熱を持ったように見開かれた。  一番触れられたくないところを容赦のかけらもなく突いてきたこの男に、食らいつくように複雑な表情をあらわにすると、そのまま掴み掛かる勢いで彼の襟元へとしがみついた。 「てめえに……何が分かんだよ……ッ、そりゃ……助けてくれたのは有難てえと思ってるし、礼も言わなきゃだけど……」  何でも分かったようなこと抜かしやがって――!  そう言いたげな目つきで拳をワナワナと震わせている様子に、氷川はふうと軽い溜息をついた。 「……ったく、てめえがいつまで経ってもそんな調子じゃ、カネの奴は……」  『カネ』というのは遼二のことだ。何故か氷川は前々から遼二のことをそう呼んでいた。名字の鐘崎を略したものなのだろうが、紫月らの周囲には遼二をそんなあだ名で呼ぶ者が殆どいない為、何となく不思議に感じていたのも確かだった。  それはさておき、氷川が呆れ半分につぶやいた台詞のその後に続けられるだろう言葉は、聞かずとも分かる気がした。  『てめえがいつまで経ってもそんな調子じゃ、カネの奴は――』どうせ心配で仕方ねえだろうなとか、あるいは成仏できやしねえな、くらいのことを言われるのだろう。紫月はもうこれ以上の嫌味も説教もご免だというふうにしながら、フイと顔を背けようとした。  ところが、氷川から出た言葉は、まったくの予想だにしない台詞だった。 「そんなてめえを見て、カネはきっとうれしくてたまらねえだろうな?」 「っ――!?」

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