48 / 146
第48話
「氷川さ、いろいろアリガトな」
「――え?」
「ん、あいつ亡くなってからさ……お前にはいろいろと世話ンなったから……なんかすっげえ迷惑も掛けたみてえだしよ」
一瞬何のことかと思ったが、どうやら告別式の時に殴り掛かってしまったことを言っているらしい。
「俺もあの頃はどうしていいか分かんなくて、正直自分で何したかとかもよく覚えてねんだ。実際あいつの後を追って死んじまいてえって、毎日そう思ってたのも事実……」
「…………」
「けど、まあ……お前が香港から帰って来てくれて……目覚めさせてくれたっつーか、とにかくいろいろ世話ンなって……感謝してる。サンキュな!」
照れ臭いのか、若干の早口でそんなことを言ってよこした紫月に、氷川は珍しく呆然とさせられてしまった。
こんなことが自然と言えるようになったのかという安堵感と、やはり一抹の切なさが付きまとうものの、とにかく彼の中で遼二の存在がそんなふうに穏やかなものとなりつつあることに、安心させられた。
この先も、少しずつでいい、穏やかさを取り戻せたらいい。
遼二の代わりには到底なれないだろうが、出来る限り傍で見守ってやりたいと、心からそう感じていた。
――川面を撫でる風はまだまだ冷たくて、けれども時折掠める水面の陽射しはやわやかで、そこに微かな春の気配が見え隠れしている。
「寒いか?」
遼二宛てにといっていたメールを打ち終わったのか、胸ポケットに携帯を仕舞うと同時に、ダウンジャケットの襟元を立てるように肩をすくめた紫月を見て、そう声を掛けた。
「え? ん、ああダイジョブ。ダウンだから暖っけーし」
それよりお前はどうなんだと言いたげな彼を横目に、氷川は襟元にあったマフラーを引き抜くと、それをダウンジャケットの肩から掛けてやるようにして差し出した。
「えっ? いいの? けどお前は?」
寒くないのかと言いたげにクリクリっとした大きな二重の瞳を見開きながら見つめてくる仕草が、まるで素直な子供のように思えて、氷川はまたひとたび口元にやわらかな笑みを浮かべた。
それならそろそろ行こうかと言って立ち上がり、枯れ草の付いたジーンズの尻を払っている彼に向かって、至極小さな声で呟いた。
「構わねえさ。お前に風邪なんか引かせた日にゃ、カネの奴にどんな嫌味を言われるか分かんねえしな」
まだ地面に腰を下ろしたままで、意味ありげな笑みをたたえながらじっと尻の埃を払うのを観察しているような氷川を、紫月の方は怪訝そうに見つめ返した。
「――あ?」
「ん、何でもねえよ」
「何だよ、ヘンな野郎だな」
「気にするな。それより家まで送って行くぜ」
遠目に控えている黒塗りの高級車を顎で指しながら、そう言った。
「あー、そう……なら遠慮なく」
紫月は照れ臭そうに上目遣いで笑うと、
「そうだ。お前、時間あるんなら家に寄ってけよ。旨いケーキ買ってあるんだ。お袋の知り合いが店を始めたとかでよ、景気付けにって今朝めちゃめちゃたくさん買って来たから……よかったらあの人たちの分もあるしよ」
あの人たち、というのは車の周囲で待っている連れのことを言っているのだろう。氷川はそんな気遣いにうれしそうに瞳を細めると、「それじゃ遠慮なく邪魔さしてもらうかな」と言って、口元をほころばせた。
ずっとこんなふうな時間が続けばいい。
寂しさも、そして今しがたの会話のような些細なことで心が温まる気がする小さな幸せも、徐々に取り戻しつつある穏やかさも、すべてをひっくるめて変わらずに大切にしていきたいと思う。隣を歩く、自分よりも若干華奢なこの男の笑顔を見守りながら、ずっとずっとこうして過ごしていけたらいい。
ともだちにシェアしよう!