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第49話
漠然とそんな想像を思い描く氷川の視線は穏やかで、静かな中にも深い温かさがありありと宿っていた。それを横目にする紫月の瞳もまた安堵の色を濃く映し出す。二人は互いの視線を感じて同時に見つめ合うと、すぐに似たようなおどけた表情で微笑い合った。
こうしていられる時間がもうあと残り少なに迫ってきていることなど、この時の二人は当然知る由もなく、ただ巡り来る季節にそっと心を触れ合わせ――
「そういや来週の土曜にさ、剛のヤツがライブやるって言ってたけど」
「――土曜か」
「何、やっぱ仕事?」
「まあな。午後から会食が一つ入ってたと思うが、その他は何とでもなる」
要は氷川の思惑如何によってはどうにでも融通がきくということだろう。紫月はうれしそうにうなづいて見せた。
「ふうん、なら一緒に行かねえ? ライブは夕方からだしよ。確か六時開場の七時スタートくらいじゃね? その後は軽い打ち上げもやるっつってたから」
「それじゃデリバリーの差し入れでも持って行くか。場所は何処だ? 何ならお前ん家に迎えに寄ろうか?」
「あ、いいや」
首を横に振って即答した紫月に、氷川の方は不思議そうに首を傾げた。
「俺、ちょっとその日、本屋に寄ってから行きてえから。けどまあ、もし迎えに来てくれんなら駅前のロータリー出た所で拾ってくれると有難えな。ライブ会場って駅から歩いて行くにはちょっと距離あるし」
そう言う紫月は、どうやらその日発売の何とかいうミュージシャンの著物をライブの差し入れとして持って行ってやりたいらしい。剛の心酔しているミュージシャンが初めて出す本だというので、それを軽いお祝い代わりに予約しているということだった。
「帝斗と倫周も来るって言ってたし」
楽しみだなと言って笑う紫月を、車の扉を開けて待機していた男たちが丁寧な会釈で迎え、と同時に自分たちの頭領である氷川にも同じように深く頭を下げた。こんな光景はこのところ幾度か経験しているものの、そうそう慣れるものではない。
「こいつを家まで送って行く」
紫月を先に後部座席へとうながしながらそう言った氷川に、
「かしこまりました」
詳しい説明などしなくとも、短いひと言ですべてを心得たかのようにスマートな返事をして、品のよさそうな男が助手席に乗り込んだ。
「少しこいつの家に寄せてもらうつもりだ」
「承知致しました。本日は特にこの後の予定もありませんから、ごゆっくりと」
それでは我々は周辺で待機していますということなのか、助手席の男が運転手に簡易駐車場などの場所を指示しているようだ。紫月はどうにも慣れない緊張の中で、どことなく落ち付かないながらも思わず身を乗り出すようにすると、
「あのっ、よかったら皆さんもご一緒に如何ですかっ!? ケーキでも食って行ってください……!」
ガシッと助手席の背を掴むような前のめりでそう言った。
「……」
勢い込んで大声になってしまったせいもあってか、助手席の男は勿論のこと、バックミラー越しに運転手の男までもがチラリと視線を寄こしたのに、緊張が一気に背筋を這い上がる。彼らの正体を知っているから尚更だ。
一口に裏社会だのマフィアだのといっても、氷川に関しては前々から既知の仲なので、左程どうとも思わない。けれども同乗している男たちは少々別だ。
おそらくは氷川よりも年かさがいっているだろうと思えるような彼らは、隙のないその身なりからしても圧迫感が並外れている。品も備わっていて紳士的だが、裏の顔とは分けているのだろう。語学は無論のこと、射撃や体術など、どれをとっても磨き抜かれて洗練され尽くしているのだろうことが窺える。事細かな説明をしないでも、先ずはそのオーラだけで参ってしまう。いわゆる本物というそれだ。そんな相手を前に緊張しない方がおかしいというものだ。
紫月はアタフタとそんなことを思い巡らせながら、
「……えっと、あの……」
旨いかどうか分からないですが、と言い掛けて、そこでハッとしたように言葉をとめた。
「あ……その、お口に合うかどうか分かりませんが、数だけは大量にあるんで……よかったら皆さんにも召しあがっていただければ……」
慌ててそう言い直した。どうにも上品な言葉使いというのは難しい。だが彼らの方では、一生懸命にそんなことを言ってくる紫月に対して逆に好感を覚えたのか、すぐに柔和な感じで軽く会釈をしてよこした。
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