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第57話

「一之宮はいつもカネのことを想ってた。例えば何か旨いもんを食ったりした時には、必ずといっていい程『あいつにも食べさせてやりてえな』って、そう言った。たまの休みに河川敷を散歩すれば『遼二と一緒によくここを歩いたんだ』と言い、買い物ついでに一服しようと喫茶店に入れば『あいつはコーヒーに砂糖は入れなかったんだよな』とか……そんなふうにいつでもカネのことを忘れなかった。何かある度にカネの携帯にメールをするのも欠かさなかった……」  それは帝斗も倫周もよく承知していた。自分たちと一緒にいる時にも同じような感じで、紫月は何かにつけて遼二のことを思い描き、そして語っていたからだ。  遼二の父親がまだ解約しないで取ってあるという彼の携帯宛てに、よくメールを送っていたのも知っている。そんな様子を側で窺いながら、切ないとも何とも言い難い思いで見守っていたものだ。おそらくは氷川や剛、京らと一緒にいる時もそうだったのだろう。遼二を失った悲しみから徐々に立ち直りつつも、それと同時に彼との思い出をより大切に自身の中で育もうとしていたのかも知れないと、誰もがそう思っていた。 「カネのことを話す時のちょっと切なそうなあいつのツラを見ているのは正直気の毒に思えないこともなかった。だから俺は……ずっとそんなあいつを見守り続けていこうと思ってたんだ……。カネを失った悲しみは誰しも変わらねえし、到底カネの代わりになんかなれるとも思ってなかったが……それでもずっと、ただずっと傍であいつを見守っていきてえって、この先ずっとあいつと一緒にいるのが当たり前だって、心のどっかで……思ってたの……に……」  こちらに背を向けながらそう言う氷川の幅の広い肩先が、僅かに震えを伴っているように感じられた。海風に掻き消されるような低い声が、悲しみを抱え切れないといったふうにそう(つぶや)く。滅多なことでは感情の起伏を見せない男がこんなふうに肩を震わせている姿に、帝斗も倫周もどう声を掛けてよいやら分からなかった。  正直なところ、氷川のこんな一面を目にしたのは初めてといっていい。実際、実の父や兄が狙撃を受けたという時でさえ、気丈にもたった一人で敵対組織を潰しに追いやったという程の男だ。その時の氷川の様子がどんなに精悍だったかということは、彼の取り巻きの者たちの絶賛を、自らの父を通して聞き及んでいる。その後、日本に戻った彼の励ましによって、傷心に暮れていた紫月も徐々に元気を取り戻していったのだ。  何事にも動じずに、ともすれば弱点など無いに等しいようなこの男が、まるで別人のように肩を落としている様を見て、帝斗も倫周も居たたまれない心持ちでいた。そんな気持ちを知ってか知らずか、氷川は未だ海を眺めたままで、相変わらずに独白のような言葉を続けた。 「俺はとんだ嘘付き野郎だったな……」 「――え?」  一瞬、気が触れてしまったのではないかと思われる程に放心した視線がこちらに向けられたのに、帝斗は驚きと不安で彼を見つめた。 「カネを亡くして傷付いてる一之宮によ、俺が言ったこと覚えてるか?」 「……?」 「いつか俺らが皆死んじまって、カネに再会できた時に……堂々と胸張ってヤツに会えるように……とか何とか……、尤もらしいことを言ってあいつを励ましたつもりでいた……どうしようもねえクズ野郎だ」  無論、そのことならよく覚えている。  いつかカネに再び会えた時に、堂々と胸を張って微笑い合えるように、今この時を精一杯生きよう――と、そんな意味合いの言葉だった。

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