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第64話
「……ちょ、何……言って……遼平ッ」
「遼平じゃねえっつったろ。遼二だ」
「え、あの……遼二って、まさか……おま、ふざけてんじゃねえよ」
「ふざけてなんかねえ。だからお前も思い出せ、紫月――」
「え、あの……ちょっと……!」
お前も思い出せ、紫月――
低く色香に満ちた声音が耳元を撫でたのと同時に、先程までよりもっと深い愛撫で全身を捉われて、呼吸もままならない程のそれに、紫苑は硬直させられてしまった。
激しいというんじゃない。確かに激しくもあるのだが、それよりはむしろ濃厚過ぎるというのがぴったりな程の、いわば受けたこともないような淫らな愛撫に意識が持っていかれそうだ。
今、自分の上に圧し掛かっているのは、確かに遼平ではない。朧げながらも理解できるのはそれだけだった。
別の男の愛撫――そう思った瞬間、反射的に紫苑は自らの上に圧し掛かっている男を跳ね退けていた。
「は……なせっ! 俺に寄んじゃねえ……ッ」
ベッドの上で片膝をつき、身構えるように睨み付ける。その視線は余裕のかけらもなく、戸惑いを隠し切れずに切羽詰まって震えている。まるで『俺に触れていいのは遼平だけだ』といわんばかりの頑なな様子に、自らを『遼平ではない』と名乗った男は、満足気に見据えてみせた。
「上等だ」
ニヤリと口角を上げてそう言うなり、再び腕を取られ即座に組敷かれて、しっかりと彼の身体の下に囚われてしまった。そしてまた濃厚に口付けられ、深い愛撫で意識を揺さぶられる。
思い出せ紫月――
俺のことを、
そしてあの頃の俺たちのことを、
切なかった想いも、
逸った胸の高鳴りも、
何もかも全部思い出すんだ!
遠くなる意識の中で脳裏を巡るそんな台詞が延々と繰り返される。
「よせ……ッ、俺に……触んなっ……! 挿……れんじゃねえッ……!」
硬い雄が自らの秘所に押し当てられる感覚に、紫苑は狂気のような叫び声を上げて身をよじった。そんな態度に、僅かに歪められた視線は不機嫌な色を湛 えて不満げだ。拒絶されたことに傷付いているというよりは、ますますもって凶暴な欲情をも感じさせる。
「随分な言いようだな? それ、本気で言ってんのか?」
グイと乱暴に前髪を掴まれて思わず仰け反らさせられてしまった。と同時に有無を言わさない勢いで、浮いた腰元に逸った雄をあてがわれて全身が総毛立つ。まるで鷲掴みというように太股を持ち上げられたと思ったら、大きく両脚を開かされて息が詰まりそうになった。
「痛……ってーよバカッ! よせっつってんだ……ろっ!」
もうとことん余裕のかけらもなく、必死の懇願という感じでそう叫べども、聞き入れてはもらえない。無理矢理強姦されるように身体を繋がれそうになって、紫苑は驚愕に瞳を見開いた。
「ッ……いっ……嫌っだ……!」
こんなの嫌だ――
あいつ以外の男とこんなこと、絶対に嫌だ。
抵抗の言葉を発そうにも喉が嗄れて焼けつくように痛い。声が出ない。快楽どころか恐怖と嫌悪が渦巻いて、今の今まで潤みに満ちていた秘所も悦びを失っていく。見開いたままの瞳は瞬きさえもままならずに天井を見つめたままで、何もできない。身体の表面から体温が引いていく気がするのは錯覚なのか、まるで蝋人形のように硬直したまま、いつしか紫苑の頬には無意識の涙が伝っていた。
「泣くんじゃねえ紫月。思い出せばいいだけだ」
愛し合ったあの頃を、お前だってこの身体のどこかで知っているはずだ――
熱っぽい視線は確かにやさしく、そして酷く切なげで、そんな中には遼平の面影が垣間見えないこともない。だが、流れ伝う涙は止まることなく、月光に浮かんだ蒼色の枕を濡らしてやまない。頭の中を巡るのはただ一つの思いのみだ。
俺は紫月なんかじゃない。
紫月なんて知らない。遼二なんて知らない。こんな酷い愛され方も知らない。
俺が知っているのはあいつだけ――
求めているのはあいつだけ、遼平だけなんだ――!
当たり前のように傍にあった存在が、今はどこにも見当たらない。まるで自分だけが置いて行かれたような孤独感が深く心をえぐっては苛んでいく。
「挿れるぜ――?」
「…………」
「おい、聞いてんのか?」
「……違ッ、……紫……じゃな……」
俺は紫月じゃない。挿れるなんて冗談じゃない。そう叫ぼうにも、嗄れた喉は声を発することもままならず、今現在、自身の身に起こっていることが夢なのか現実なのかも分からなくなりそうだ。
蒼く深い闇の中で強要される手酷い愛撫に耐え切れず、紫苑は自らを貪る男の腕の中で意識を失ってしまった。
◇ ◇ ◇
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