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第71話

 そうだ。例えこの倫周から二十年前の話を聞かなかったとしても、遅かれ早かれこんなふうになっていた。だから何も気に病む必要などないし、それどころかいろいろと世話になったことには感謝すらしている。そんなふうに言いたげなのを呑み込んで、再度深く頭を下げた。  重い気持ちで扉を押し開け、出て行き際にチラリと氷川を見やれば、こちらに背を向けたまま窓の外を見つめていて、その横顔が午後の陽射しでシルエットとなって視界を過ぎる――  彼が今、どんな表情をしているのかは逆光に遮られて窺い知ることはできない。  けれども確かにその視線が窓の外へと向けられているのだけはハッキリと分かって、振り返ろうともしないその態度こそが氷川の返事なのだと受け取らざるを得なかった。  最後の最後まで感情のかけらも見せない冷たい人だ。苦い思いを持て余すようにしながら、紫苑はくしゃりと瞳を歪め、遼平と共にまた軽く一礼だけを残すと、居たたまれないという気持ちをあらわにその場を後にした。 ◇    ◇    ◇  呆然としたまま、何もできないままで二人を見送り、静まり返った部屋の中で倫周だけが祈るように自らの肩をすぼめ、そして堪らない思いに打ち震えていた。 「白夜っ、ごめん……! 実は昨夜、僕が……あの二人に昔のことを話して聞かせたんだっ……」  未だ窓の外に視線をやったままの氷川に懇願するようにそう告げる言葉も、喉がカラカラに乾いてしまっているせいでか、思ったようには綴れない。余分なことをした――、取り返しのつかない節介をしてしまった――、と言わんばかりに困惑する倫周の肩を、後方からそっと包み込むように手を伸ばしたのは兄の帝斗だった。 「倫、落ち着きなさい」 「帝斗……っ、だって僕が……全部僕のせいでこんな……っ」 「いいから。とにかく落ち着きなさい」 「でも……!」  そんな押し問答の合間にも、氷川は未だ微動だにしない。倫周を責めるわけでもなければ、焦って紫苑らを追い掛けるでもない。静か過ぎるその様は、まるで水を打ったように冷ややかで、そして穏やかで、だが裏を返せば呆然として何をも考えられないでいるだけなのでは――といった不安を募らせる。  倫周には、今の氷川の様子が二十年前に一之宮紫月を失った時に見た彼の横顔と重なるように思えてならなかった。 「僕、あの二人を引き止めてくるよ! 今ならまだ間に合うはずだもの……!」  無我夢中で部屋を飛び出そうとして、大きな革張りのソファの角に思いきりくるぶしをぶつけた。 「……ッ!」  そんな間抜けな失態に思わず涙が堰を切り、ボタボタと分厚い絨毯を濡らす。足を押さえ、引き摺りながらも立ち上がろうとする、その背中ごと抱き包むように引き留めてくれた帝斗の温もりを感じれば、ますます涙が止め処なくあふれ出した。 「まったく。少し落ち着きなさいと言ったはずだ」  見上げれば、僅かに眉間に皺を寄せた帝斗の顔面アップが視界に入って、だがすぐにそれが『仕方のない奴だ』と言わんばかりの笑みまじりになったのを見て取ると、倫周はまたしても頬を濡らした。 「僕はいやだよ……このまま彼らとこんな形で終わってしまうなんて……絶対に嫌だ。彼らが遼二と紫月の生まれ変わりだって確証なんかないし、そんなふうに考える自体、奇跡みたいなことだって分かってるよ……! でもあんなにそっくりだっていうのも何かの運命としか思えないじゃない!」 「倫……」 「彼らに余計な知恵を吹き込んだのは僕なんだし、ちゃんと責任を取りたいんだ! もう二度とあの時みたいな後悔はしたくない。あの二人と今度こそ離れたくないって、帝斗だってそう思うだろ? 白夜だって……っ」  本当は一番強くそう願っているんじゃないのか?  そんな思いのままに、倫周は窓辺に佇んだままの氷川を見上げた。視界は涙で濡れ、よく見えないままで、縋るように言葉を詰まらせる。 ◇    ◇    ◇

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