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第72話
大パノラマの窓辺に、金色の陽射しが雲間を突き抜けて眩しく煌めきを放つ――
しばしの沈黙を挟んだ後、倫周の叫びにようやくと反応を示したふうな氷川の横顔が、セピア色のシルエットを背負ってスローモーションのように振り返った。
そこには涙で汚れた顔を気にもとめずに子供のような格好でしゃがみ込んでいる倫周がいて、そんな様子を目の当たりにすれば、自然と心が和らぐ気がするから不思議だ。
「誰もお前のせいだなんて思っちゃいねえし、責めてもいねえさ。それに俺は諦めるなんて微塵も思っちゃいねえよ」
百獣の王も可愛らしい仔ウサギを前にしては『かたなし』だというように、クスッと苦笑いが抑えられなかった。
「……白……夜?」
コトリ、と心地よく響く木目の擦れ合う音は、氷川が手を掛けた机の引き出しが開かれる音だ。彼はいつものそこからシガレットケースを取り出すと、余裕ともいえる動作でそれに火を点け、そして深く煙を味わうように吸い込んで見せた。
それを横目に帝斗もまたゆったりとした余裕のある笑みをその口元にたずさえていて、そんな二人の様子に困惑気味でいる倫周は、不安そうに彼らを交互に見やっては首を傾げる。
「ねえ倫、白夜の言う通りさ。よく思い出してごらん? あの二人に事務所を辞めていいだなんて、白夜は一言だって言ったかい?」
「え――!?」
「勝手に息巻いて飛び出して行ったのは彼らだけど、僕も白夜もそれを認めるとは言っていないよ? 無論、彼らとの縁を諦めるつもりも更々ないね」
「えっ!? じゃあ……じゃあ……」
「そんなことも分からないんじゃ、お前さんもまだまだ修行が足りないね?」
帝斗はにっこりと微笑むと、悪戯そうに瞳を細めながらそう言った。そしてこちらから質問の言葉を投げ掛ける猶予も与えないままに、間髪入れずといった調子で、ひとつの命令を告げて寄こした。
「倫、お前にはちょっとハードな任務になるかも知れないけれどね――」
そう切り出すと同時に、すぐに彼らの後を尾行するようにと促されて驚いた。
「え……っ!? あの、尾行って……それどういう意味」
すぐにはこの切り替わりに付いていけないでオタオタとする倫周を他所に、帝斗は流れるような所作で懐から携帯を取り出しては、既に通話の相手にテキパキと指示を出している。そんな様子を傍らでポカンと見つめながら、瞳を白黒させているのが精一杯だ。すると、会話を続けながらも、もう片方の懐から真っ白なハンカチーフを取り出しては、涙で汚れていた頬までをも拭いてよこした。
「あ……あの帝斗、ありがと。それで……僕はこの後どうすれば……」
未だグズグズと涙声を引きずっている倫周を横目に通話を終えた帝斗は、今度は卓上から肌触りのいいティッシュを数枚引き抜き、それを差し出しながら言った。
「ほら、鼻もかみなさい。今、ロビーに車を回すよう手配したから。お前にはすぐに彼らの後を追ってもらう。だが昨日とは違って、今度はあくまで尾行だ。彼らに気付かれないようにこっそりと後を付けて様子を窺うんだ」
その指示に倫周は驚きで目を丸くした。
「恐らく彼らは今夜、どこかのホテルにでも身を落ち付けるはずだ。あの不器用な二人がおめおめ実家に戻るとも思えないからね。行き所に困って、とりあえずは宿泊先を探すだろうから、お前はそっと見守りながら逐一僕にその動向を知らせて欲しい」
いわば付かず離れずで、こっそりと探れというのだ。つまりは夜も落ち着いては寝ていられないだろうし、いつ何時、何処へ動き出すか分からないターゲットから目を離さずに尾行しろというわけだから、多少は酷な思いを強いられるだろうが――と帝斗は付け加えた。
それを聞く倫周は、もう飼い犬が主人の言い付けを待つかのような調子で、大袈裟な程に頭をコクコクと揺らしながら瞳を輝かせて一心に帝斗を見つめている。
「僕、何でもするよ! 精一杯、本当に何でもするから!」
「いい子だ。それじゃ小まめに連絡を入れるんだよ。二、三日は様子を窺うだけにして、何か変わったことがあったら真夜中でも構わないから連絡をおしよ」
「うん、分かった! 帝斗、ありがとう! 白夜も……」
本当にありがとう!
心からの言葉を残すと、倫周はすぐさま新たな任務へと向かうべく、勢いよく部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
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