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第75話

 そうだ。如何に氷川が冷淡だろうと、売れないヤツはいらないといった調子で捨てられるなど有り得ないだろうと思う。実際、自分たち以外にも大してヒットしていないミュージシャンが同じ事務所にわんさといたが、彼らをポイ捨てにするようなマネをしているところなど見たことがないのだ。それどころか親身になって曲を提供し、小さな規模からでもライブ活動などが行えるように、懸命になってくれていた印象が強い。氷川に限らず社長の粟津帝斗も、そして倫周も、無論スタッフたちも含めて皆一様だった。  そんなところは情に厚いというか、今更ながらに氷川らのあたたかさが身に沁みるようで、なんだか酷く懐かしくもあり、同時に後悔の念もがこみ上げてくる気がしていた。たった一日離れただけだというのに、すべてが遠い日のことのように感じられ、居たたまれなくなる。自分の短気と我が侭さ加減にも嫌気がさす。そんな思いに駆られてか、紫苑は咄嗟に声を荒げてしまった。 「事務所を悪く言うんじゃねえよ! つーか、てめえらなんかに言われたくねえ!」  そんな彼を抑えるように遼平が横から『よせ』と制止する。桃稜の一団は待ってましたとばかりに、ニヤニヤと顔をほころばせた。  このままお決まりのパターンで小競り合いが始まりそうな雰囲気に、特に遼平の方は面倒事はご免だといわんばかりに眉間の皺を深くして警戒の感情を色濃く映し出す。  だが、どういわけか仲間たちを抑えるかのように、最初に因縁を付けてきた男が意外なことを口走ったのはその直後だった。 「なあ織田よー、さっきのはほんの冗談だって! ホントは地元から有名人が出たって、これでもお前らのこと自慢に思ってんだぜー?」  嘘か真か、九割方が冷やかしとも取れる口調で息巻いている。ニヤけまじりというには似合わない真剣な、ともすれば苦い思いの混じったような表情で口元をひん曲げているその男に、遼平も紫苑も怪訝そうに眉をしかめた。  これには桃稜の他の連中も同様で、いきなり何を言い出すんだと、誰もが唖然としながらその男を見やっている。何とも奇妙な雰囲気が立ち込めたのも束の間、男がもっと意外なことを言ってのけた。 「でさ、お前ら売れっ子ミュージシャン様にちょっと頼みてえことがあんだけどさー……」  相変わらずに苦々しく口元を歪めながら上目使いの男に、より一層怪訝そうな顔つきで、遼平らは彼を見やった。 「お前ら、結構稼いでんだろ? だったらさ、ほんのちょっとでいーからカンパしてくんねー?」 「はあ?」 「だからカンパ! つか、ちょっと銭を融通してくんねえかっつってんだよ」  その申し出に、さすがに黙っていられずに紫苑が舌打ちを返した。 「何ふざけたこと抜かしてやがる。いきなりカンパって、意味分かんねえよ」  第一、大した付き合いも有るような無いような、単に隣校に通い、街中で顔を見掛ける程度の間柄であるこの男に、貢ぐ理由など毛頭無い。そういった感情をあらわに、紫苑もそして遼平も同様にくだらねえとばかりの薄ら笑いをたずさえてみせた。  ところが、少々小馬鹿にしたような二人の態度にも係わらず、怒るどころかもっと下手に出るような調子で、男は先を続けた。 「ンな冷てえこと言わねえでさー、カンパがだめなら貸してくれるだけでもいーんだよなー。実は俺さ、ちょっとヤバい所のオンナに嵌められちゃってさー……まとまった金が要り用なんだよね?」  ますますもってワケの分からない言い草に、遼平、紫苑のみならず、桃稜の連中までもが唖然状態だ。  仲間内の誰かが逸ったように口を挟んだ。 「……って、お前! もしか、こないだ言ってたクラブで知り合ったとかっつー例の女かよ!?」

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