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第95話

「え……あ、そんな」 「俺ら……なんて……」 「だが実際、守ってくれたろ?」  まさかこんなふうに礼を言われるなんて、意外過ぎて返事もままならない。それ以前に、まるで揺るぎない信頼を置かれているようで、驚きやら嬉しいやら、照れ臭くもあるやらで、何とも表現し難い高揚感がどうしようもない。春日野同様、自分たちの方こそ助けに来てもらった礼を言うべきというのも重々分かっていれど、上手くは言葉になってくれずに、遼平と紫苑はただただうつむき加減で、時折上目遣いに互いを見やるのが精一杯だった。  まばゆかった夕陽が金色から濃い橙に変わるまではほんの僅かだ――  桃稜生たちも、そしてその後を追うように倉庫の出口に向かって歩く春日野の長身も、それらを見送る形で微笑む帝斗と倫周、その周囲には氷川に伴って来たのだろう運転手やら彼の配下らしき男たちの姿が数人、すべてが濃い橙色に染まっている。そんな姿を見つめながらぼうっとしたまま、最後の二人になった遼平と紫苑の長いシルエットが倉庫内に伸びていた。 「遼平、紫苑」  ハリのある声にそう呼ばれて、二人はハッと我に返った。 「いつまでそんな所に突っ立ってるつもりだ? 帰るぞ」  逆光に染まった長身がそう言いながら振り返る。表情の細かいところまでは見えないながらも、その口角が楽しげに笑みを携えているようで、二人はハタと互いを見やった。若干バツの悪そうにしながらも安堵と嬉しさを隠せないといった表情で、照れたようにうなだれ合う。 「あの……氷川さん……」 「俺ら……その……」 「何だ」 「いえ、その……」  迷惑を掛けてすみません、来てくれてありがとうございました、先程から何度もそう言いたいと思っているのに上手く言葉が出てくれない。事務所を辞めるなんて言って楯突いて、そのことも謝らなければいけないのに、これもまた上手くは言葉になってくれない。歯がゆさを持て余したようにモジモジとその場から動けずにいるらしい彼らに、 「いいから早く来い。帰るぞ」  そう言って氷川は瞳を細めてみせた。  おずおずと二人は歩き出し、 「な、帰ったらちゃんと礼を言わねえとな?」 「ん、あと……ちゃんと謝んねえと。氷川のオッサンに、ちゃんと……」 「ん、だな」  お互いに肩先を突っ付き合うようにして、それは照れ臭さの裏返しなのだろう。遼平も紫苑もバツの悪そうにしながらも、その表情はとびきり穏やかだった。氷川の広い背中を見つめながら、時折互いを見やる視線には幸せが満ち満ちていた。  帰ったらちゃんと謝って、礼を言って、そうしたら氷川が作ってくれたバラードを歌おう。今度こそ気持ちを入れて、氷川の思いを、そして自分たちの思いをも込めて、心からのバラードを歌えるようにがんばろう。  格別には言葉にせずとも同じ思いでいるだろう互いを見やり、橙色が褪せていく早春の空に視線を逃す。穏やかな宵闇が心地よく、どちらからともなく袖触れ合わせて歩きたい気持ちが二人の肩を包み込む。  そう、このままずっと。ただただ互いを隣に感じているだけでいい。 ――いつでもそこにお前がいればいい。  そして周囲にはとびきりのダチがいて、仲間が笑ってて、ただただ変わらずに過ぎゆく時を共にできればいい。  ふと、足元に降って来た砂のようなものに視線を取られ、遼平も紫苑も不思議顔で頭上を見上げた――次の瞬間だった。  ミシッという嫌な感じの音を聞いたのも束の間、天窓らしきものが枠ごと落下してくるのが目に焼き付いた。  さびれた焦げ茶色と、ささくれ立った古い木枠、そして風化による汚れで濁った擦りガラス、それらがいっぺんに頭上目掛けて落ちてくる様を確認できたのは、ほんの一瞬のことだったろう。 「危ねえッ……!」  触れ合っていた袖を手繰り寄せ、咄嗟に懐の中に抱え込むように身体ごと抱き包み――  いつかどこかで観た映画の場面のように、もしも一分一秒を何百倍もの長さに伸ばせるとしたならば、こんなもの、きっと簡単に避けられるのだろう。 「紫苑――――――――ッ」  狂気のような叫びが、身もすくむ程の落下音に掻き消されて散った。

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