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第98話

 血塗れの惨たらしい姿など見せたくはない、その一心で咄嗟に氷川は紫苑の視界を遮るように抱きすくめた。だが逆効果だったのか、紫苑は腕の中でもがき、氷川の拘束を食い破るようにして遼平の身体へとしがみ付いた。 「遼平ッ……何で……こんな……っ、どうしてっ……!」  血に塗れたガラス片が突き刺さる肌に手を伸ばし、触れ、今目の前にある光景が夢なのか現実なのか分からなくなる。 「どうしていつも俺はお前んこと……こっ……んな、こんな……酷え目に遭わせてばっか……」  ガクガクと身体中が震え出し、唇からは色が消え、視界に映るものすべてが鮮血色に染まっていく。と同時に、頭の奥の隅の隅の方からザワザワとした雑音が聞こえ始め、それらが次第に大きくなってくるような錯覚に陥った。  頭の中で誰かが話し掛けてくるような気がする。 『何で……俺ばっか……たまには俺もお前の……』 『だーめ! 俺とお前じゃ愛の重さが違うんだよ。だからダメ』 『何だ、それ。ワケ分かんねえこと言って……っあ……!』  乱された白いシーツの上で濃厚に愛撫をされている自分に似た男が、逞しい腕の中で陶酔した表情を浮かべている。その彼の股間に顔を埋め、そして彼の両方の太腿をがっしりと支え、黒髪を揺らしている男にも見覚えがある。遼平によく似た面持ちの男だ。絡み合う二人の間には淫らで甘い空気が止め処ない。  そうだ、この場面を知っている――  今、脳裏に浮かぶこの光景はいつかの自分と遼平の姿なのだろうか。それとも別の誰かの姿なのか。それよりも何よりも、何故、今このタイミングでこんな光景が浮かんだりするのだ。こんな切羽詰まった状況で、それとは真逆のような甘やかな映像が脳裏の中を巡り、めぐり、止んではくれない。 『俺の愛はお前のよりめちゃくちゃ重いのよ。んだからよ、お前に尺られたりしたら、俺、ブッ飛んじまって何すっか分かんねえし』 『……は?』 『きっとお前んこと、めっちゃめっちゃにしちまいそうでさ。暴走しちまうのが目に見えてるわ』 『何言ってんだ、このエロヘンタイが……っ』 『だろ? 俺さ、自分でもかなりヤベえヤツって思う時あるわ。何ちゅーか、時々怖くなるくらいお前んこと好きっての? マジでどうしようもねえくらい愛してる』 『バッカ……やろ、ンなこと……よくこんな時に……言……っ』 『こんな時だから素直に言えちゃうんだろ? 普段はこっ恥ずかしくて言えねえけどな? だからよく聞いとけよ?』 『……っあ、しつけ……ンなとこばっか……って、うあ』 『愛してるぜ……大好きだぜ……? ぜってー放さね……お前んこと……!』 『ばっかやろ……てめ、遼……!』  強く、強く、激しく荒く、だがとてつもなく甘く淫らで幸せで、欲望の到達と同時に理由のない涙があふれ出た。そうだ、この愛撫を確かに覚えている。 ――俺とお前じゃ愛の重さが違うんだぜ?    愛の重さが――    違うんだぜ――    違うんだぜ――  何度も何度も脳裏を巡り、こだまして離れないその言葉が次第に遠ざかって小さくなっていく気がした。と同時に、そう言いながら微笑んでいた彼の映像も次第に薄くなり、頭の隅の方へと消えて失くなってしまう感覚に恐怖を覚え、ブルリと身を震わせて我に返った。 「嘘だ……そんなん、嘘だ……俺だって同じ……俺だって愛してる……」  遼平の身体にしがみ付きながら、声を震わせて同じ台詞を繰り返す。その視点はどこを見るともなしに定まらず、瞬きさえ忘れた人形のようだ。そんな紫苑の様子に、氷川をはじめ周囲の者たちは心配そうに眉をしかめた。

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