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第108話

「遼平か? 気が付いたのか?」 「え……あ、氷川……さん、俺……」  どうやら自分自身のことも、傍に居るこちらのことも理解できるようだ。口調も思いの他、しっかりとしていることに安心させられる。如何に鐘崎遼二と触れ合った直後だとはいえ――いや、触れ合ったからこそなのか、彼が『遼平』だと思えば、全くの別人という意識にさせられるから不思議だった。 「気分はどうだ? 手術は成功したから安心しろ」 「氷川さん……ずっと、付いててくれたんですか……?」 「ああ、勿論だ。当たり前だろうが」  氷川はそう言って瞳を細めた。とびきり穏やかに、これまでのように素っ気なくすることも感情を取り繕うこともなく、気持ちのままを表情に出しては微笑んだ。 「紫苑のヤツもずっとお前に付きっきりだったんだぜ? 睡魔に負けるのを見計らって、今は隣の部屋で休ませてるが、お前の傍から離れようとしなかった」 「あ……! そういえばあいつ、無事ですか!?」  思い出したように遼平はそう訊いた。事故の瞬間の記憶が瞬時に蘇ったのだろう、自身が身を挺して助けただろうはずの紫苑はどうなったのか、怪我はなかったのか、もしも完璧には守り切れなかったとしたらどの程度の容態なのか、次々と訊きたいことがあふれ出す。 「大丈夫、お前があいつを懐の中に抱え込んで守ったんだからな。紫苑はかすり傷程度で軽傷だったぜ」 「あ……そうでしたか」  心底、安堵したように大きく息を吐いて、ホッとした表情を隠さない。そんな様が”遼平”という彼の性質を体現しているようにも思えて、それは独特の――鐘崎遼二とはまたどこか違って、もっと穏やかともいうべきか、落ち着きが感じられるようでもある。遼二の場合はもう少し子供っぽいというか、やんちゃな感が強い性質だからだ。そんなところに二人の違いがはっきりと見て取れるようで、氷川にはそれがとても嬉しく思えていた。 「あれから四日もお前が目を覚まさねえから、ヤキモキさせられたぜ。とにかく良かった! 今、紫苑を起こして来るから待っとけ!」  氷川はそう言って、未だに握り締めたままだった掌に気付き、少し照れ臭そうに微笑んで見せた。 「心配させやがって……!」 「……すい……ません」 「とにかくゆっくり治療して怪我が治ったら、その分しっかり歌にも打ち込んでもらわねえとな?」 「あ……はい。はい、もちろんです……あの……氷川さん、俺ら……」  そういえばまだきちんと謝っていないことに気が付いて、遼平は突如焦ったように視線を泳がせた。いろいろあり過ぎて、すっかり脳裏から抜け落ちていたが、事務所を辞めるだの何だのといって、この氷川に楯突いて飛び出してしまったのはほんのわずかに数日前のことなのだ。  そんな思いが伝わったのか、氷川は少し悪戯そうに笑うと、 「俺も意地を張り過ぎてたところがあったしな? まあ、これからはもっと素直になれるように努力するさ」  だから何も気にすることはない、お互い様だ。そんなふうに言われているようで、遼平は驚きで瞳をパチパチとさせてしまった。そこにいるのは確かに氷川なのに、今までとは酷く印象が違う。いつもの仏頂面はなく、固い印象もなく、とびきり穏やかで朗らかな笑顔、そのどれをとってみても別人のように感じられる。だが、よくよく思い返してみれば、乱闘のあった倉庫に助けに来てくれた時の氷川もこんな印象だったのを思い出した。  『倫周一人で先に行かせるのは心配だったが――でもお前らもいるし、大丈夫だとは思ってたぜ』  そう言った氷川の笑顔は不敵で、だがものすごく厚い信頼を置いてくれてもいるようで、何とも言い難い絆のようなものを感じたのは確かだったからだ。

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