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第117話

 さすがにピアノ科というだけあって、徳永の演奏は見事なものだった。鍵盤の上を流れるような白く細い指先が奏でる音はやわらかで美しく、まさに『透き通った』というべく優雅な音色が素晴らしい。やはりアコースティックギターで弾くよりも曲のイメージにぴったりとはまってくる。 「すげえ……」  無意識にそんな言葉がこぼれてしまうくらい、とてもいい感じだった。と同時に、クラシック専用のレッスン室だというだけあって、揃えられている楽器の種類もさすがといえる。  今、徳永が弾いているグランドピアノもさることながら、弦楽器や管楽器、パーカッションに至るまで、すぐにもオーケストラができるくらいの本格的なものだ。遼平も紫苑もこの部屋に来るのは初めてだったから、とにかく驚かされてしまった。 「うーん、やっぱりもう少し音に幅が欲しいかな……」  ピアノの前でそう呟いた徳永の言葉で、ふと我に返る。演奏は素晴らしいし、アコースティックギターで奏でるよりもずっといい――そう思っていたのだが、徳永には何か物足りないようだ。 「ねえ菫、ちょっと重ねてもらってもいい?」  重ねる――とはどういう意味だろう。遼平と紫苑は互いに顔を見合わせたが、次の瞬間、春日野が倫周に向かって訊いた。 「すみません、こちらにある楽器はお借りすることができますか?」  倫周はすぐに言われていることの意味を理解したのだろう、 「勿論! どれでも好きなのを自由に使っていいよ。すぐに弾けるように手入れは万全にしてあるから」  ニッコリと微笑みながらそう言った。すると春日野は「お借りします」と言って、弦楽器が置いてある棚へと向かった。  まさか彼も何か弾くつもりなのだろうか、驚いたのは遼平と紫苑の二人だ。隣校で不良の頭と言われているような男とクラシックの弦楽器は、どう考えても結びつかない。しばし唖然としたように口を開いたまま突っ立ってしまったくらいだ。  そんな様子に春日野は少し恥ずかしそうにしながらも、バイオリンを手に取った。 「……え? 春日野、お前……まさかだけど……弾けるのか?」  瞳をパチパチさせながら紫苑がそう問う。 「まあ、少しだけな」  とりあえず謙遜を口にするも、その姿は既にサマになっている。徳永の隣で弓を構えた立ち姿は、どこから見ても素人とは思えない立派な演奏者のそれに思えた。  そして、徳永の指が鍵盤を彩り――それに続くようにバイオリンの音色が重なると、遼平も紫苑も驚きに目を見開いてしまった。出だしは透き通るような音色が切ない心情を見事に表していて、郷愁を誘う。サビの部分に入っていくにつれて、二人の奏でる音も強くダイナミックになっていき、全身が硬直させられるような感動が襲い来る。まさに氷川の二十年間の思いを体現してくれるような調べに、全身に鳥肌が立つ思いでいた。 「すげえ……」 「うん……、何つーか……感動で鳥肌が治まんねえ……! やべえよ……」  しばし言葉にならずに恍惚とした表情で立ち尽くす。 「つかさ、まさか春日野がバイオリン弾けたなんて……めちゃくちゃ驚きだぜ」 「何せ春日野っつったら、桃陵の頭って言われてるくらいだから、確かにイメージできねえ」  未だ呆然ながらも、心底感嘆したようにそんなことを言っている遼平らに、当の春日野は照れ臭そうにしている。そんな三人の様子を微笑ましげに見つめる徳永も嬉しそうだった。 「けどほんと……二人すげえ息が合ってたっていうか……この曲だって今日初めて弾いてもらったとは思えねえよな」 「ん、ちょろっと楽譜見ただけで弾けちまうってのもすごい」  遼平と紫苑が未だ興奮冷めやらぬで、溜め息を漏らしている。そんな様子に、 「僕がピアノを始めたのは小学生の高学年からで遅かったんですけど、実は菫のバイオリンと連弾がしたくてね。親に無理言って絶対習いたいっって頼み込んだのが始まりなんですよ」  徳永は照れながらそう言った。

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