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第118話

「そうだったな。まあでも俺は正直クラシックよりも他に興味がいっちまってさ。中学に上がる頃にはすっかり竜胆さんの方が上手になっちまってた」 「せっかく連弾を楽しみにがんばったっていうのに、菫ときたらバイオリンはそっちのけでジャズに興味を持っちゃってね」  ジャズとはまた随分とクールである。どちらかといえばクラシックよりはジャズの方が春日野の雰囲気には合うかも知れない。 「じゃあもしかしてサックスとかも吹けるとか? あ、でも弦繋がりならコントラバス……だっけ? あのでっけーバイオリンみてえなの?」  そう訊いた遼平に、 「いや、菫の十八番はドラムスなんですよ」徳永が答えた。 「ドラムス!? お前、ドラムも叩けるのか?」 「マジかよ! 聴いてみてえ!」  ほとほと感心させられる。 「まあ、ドラムスとピアノでもいいんだけれど、僕としてはやっぱり菫の奏でるバイオリンが好きでね。でも最近はなかなか聴かせてくれないんですよ。だから今、久しぶりに連弾できて、ちょっとワクワクしちゃった」 「聴かせてくれないって……それほど練習もしてねえし、恥ずかしいだけだって」 「そうなの?」 「そりゃ……そうだろ? 俺とあなたじゃすっかりレベルが違うって」  何だかこの二人を見ていると、本当に幼い頃から互いを大事に想ってきたのが手に取るようだ。しかも年上の徳永を敬ってか、無意識に『あなた』と呼ぶ春日野に思いがけない一面を見たようで、遼平も紫苑も心が温かくなる思いでいた。 「ところで春日野、それから徳永さん! もし良かったら二人の演奏を録音させてもらってもいいですか?」  遼平が思い切ってそう願い出たのに続いて、 「できれば是非お願いします! プロモのインストルメンタルで流すにはやっぱり俺らのアコギより全然雰囲気あるし、氷川のオッサンには最高の出来にして贈りたいんです」  紫苑も切なる思いでそう頼み込む。そんな二人の申し出に、徳永は嬉しそうに頷いた。 「勿論、僕らはお手伝いできるならすごく嬉しいけれど。ねえ、菫?」 「ああ、けど……ピアノはともかく……俺のバイオリンで本当にいいのか? 俺のはこの人のと違って完全な趣味の域だぜ? マジでガキの頃にちょろっと習っただけで、今じゃ殆ど――」  春日野が不安そうにそんなことを言ったが、遼平と紫苑の思いは揺るがなかった。 「ん、お前に弾いて欲しいんだ。何てったってお前って桃陵だし――、それに何となく氷川さんに雰囲気似てるっつーか……」 「あ、やっぱお前も思った? 実は俺も! もしかしたら二十年前の氷川さんと……俺らにそっくりな遼二と紫月……。きっと今の俺らみてえに過ごしてたこともあったのかなってさ」  プロモーションビデオで当時を再現するならば、是非ともこの春日野と一緒にやりたい、二人は切にそう願っていた。今し方、遼平が言ったように、どことなく氷川を思わせる面立ちといい、持っている雰囲気が似ているように感じるのも確かだ。そんな思いが伝わったというわけか、春日野もコクリと頷くと、 「分かった。じゃあそれまでにちょっと特訓しなきゃだな」  そう言って、はにかむように笑って見せた。 「あー、じゃあ俺らも負けねえように歌の方、しっかりやんなきゃ!」 「ん、だな! 譜面追わねえとマトモに歌えねえんじゃ、また氷川さんにドヤされっからな」  ドッと場が湧き、それまで若い彼らのやり取りを側で見ていた倫周も一緒になって笑い合う――ちょうどその時だった。 「どうせなら録音じゃなく、生で演奏していただいたらいいんじゃないか?」  頼もしげな声に後ろを振り返れば、いつの間に来たのか、社長の粟津帝斗がにこやかに微笑みながら立っていた。 「お二人の演奏、僕も聴かせていただきましたよ。素晴らしいですね」  絶賛の言葉に、春日野も徳永も恥ずかしそうにペコリと頭を下げる。 「さすがに春日野朧月(かすがの ろうげつ)氏のお孫さんだ。見事でした」  帝斗が当たり前のように言ったそのひと言に、遼平と紫苑がすっとんきょうな大声を上げて瞳を見開いた。 「か、春日野朧月ッ!?」 「……って、めちゃくちゃ有名なバイオリニストじゃねえか……」  そう――春日野朧月といえば、国内どころか世界的に有名な音楽家の名前だ。春日野がその孫であるなどと、今の今まで全く知らなかったので、しばし驚きで絶句させられてしまった。確かに名前は『春日野』で一緒だが、あまりにもイメージが違うので、結びつかなかったわけだ。まあ、だがそれならばバイオリン演奏ができるというのも頷ける。遼平も紫苑も唖然としたように口をポカンと開けたまま、『クラシックには縁の程遠いような俺らでさえ、春日野朧月って名前は知ってるぜ』と、まさに顔にそう書いてあるような表情で固まってしまっていた。そんな二人を横目に帝斗が微笑ましげに言う。 「春日野君のご一家は皆さん音楽家でいらしてね。僕も先日からの一件で彼とご交流させてもらうようになってから知ったことなんだけれど。でも本当にさすがというか、徳永さんもお小さい頃から春日野君と一緒にご精進なされてらっしゃるだけあって、素晴らしかったよ」  どうかお二人の力をこの遼平と紫苑に貸してやってください――そう言って深々と頭を下げる帝斗に、春日野らは恐縮しつつも素直に嬉しそうに頬を紅潮させる。遼平と紫苑も、自分たちの為に頭を下げて頼み込んでくれる社長の言葉に、胸の熱くなる思いでいた。

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