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第120話

「そうだ、あの日……俺はあいつと、つまんねえことで痴話喧嘩してた……。大好きだったのに……些細なことで……素直になれなくてすれ違ってた。そん時に氷川に出くわしたんだ」  まるで何かに取り憑かれたように倉庫入り口の一点を見つめたままで、紫苑は続けた。 「あの頃、俺と遼は喧嘩してて……殆ど口も聞かない日が続いてた……。放課後も別々に帰った。その隙を突かれて、桃陵の連中が汚え手口で遼を嵌めたんだ。俺らが一緒に帰ってたら、あいつはあんな目に遭わずに済んだんだ……」  紫苑の脳裏に遙か昔の初夏の日の出来事が、湧き出る泉の如く蘇る――  自分とそっくりの男、多分彼が一之宮紫月なのだろうか、不機嫌顔でいる。一等信頼を置いていたはずの相方は――おそらく彼が遼平と瓜二つの鐘崎遼二なのだろう、彼も気の重そうな表情で、二人は互いを気に掛けつつも避け合うような日々が続いている。そんな光景が酷く鮮明な映像となって紫苑を包み込んでいった。  日頃から因縁関係にあった桃陵学園の不良連中にとって、遼二と紫月という二人は目障りな存在だったのだろう。仲違いで二人が離れている隙に、一人ずつ罠に嵌めて潰してしまおう――事の発端はそんなことだったように思う。  ”遼二”は彼らによって襲撃され、大怪我を負い、数日の入院を余儀なくされてしまったのだ。  その遼二が退院の日のことだ。いい加減、避け合うことにも疲れた。素直になって彼を迎えに行こう、そう思い病院へと向かった。だが、そこでまたしても二人の溝が開いてしまうような出来事に出くわしたのだ。  遼二が襲撃を受けた際、桃陵の連中が囮に使ったのは近隣校に通う一人の女子高生だった。無論、遼二とは何の面識もない女だ。単にその女を盾に取り、正義感の強い遼二を袋叩きにする為の餌にしただけなのだが、庇ってもらった彼女にしてみれば、遼二に好意を抱くには充分な出来事だったといえる。入院中も毎日のように見舞いに訪れる彼女の姿を目にする度に、モヤモヤとした気持ちが”紫月”を襲ったのは想像に容易いことだ。  退院の際も紫月が病院へ迎えに行くと、既にその彼女が一足先に訪れていた。当然、紫月にはショックだったことだろう。そこで聞いた彼女のひと言、それが引き金となって紫月は遼二を罠にかけた桃陵生への報復を決意したのだった。 「またあの不良の人たちがあなたを待ち伏せでもしに来たら困るから……。だから私の母の車であなたを家まで送りたくて来たの」そう言った彼女の言葉に同調するように、彼女の母親も似たようなことを口にした。 「そうですよ。ああいう悪い子たちは何をするか分かりませんもの。どうぞうちの車に乗っていらしてください。この子があなたのことを心から心配するものですから、私としてもあんな不良の子たちからあなたを守らなければと思いましてね」いけしゃあしゃあと鼻高々といった調子でそんなことを口走る母娘を見て、身体中の血が逆流するような思いに陥った。  あいつの背中に隠れて守られて、あいつを平気で盾にしやがったくせに――!  そうは言えども、か弱い女のことだ。桃陵の不良連中に囲まれ脅されて怖かったのだろうことは分からないでもない。だが、遼二が彼女を守ろうとして暴行を受けていた際に、この女は怖さからか自分だけその場を後にしてしまったのだ。一先ずは逃げて警察に駆け込もうと思った、彼女は後になってからそう弁明したようだが、結果として遼二を置いて逃げたことに変わりはない。その場で通行人に助けを請うことだってできたはずだ。紫月にしてみれば到底許せることではなかった。  そんな女が今まさに上っ面だけは尤もなことを言ってのけている。しかも遼二に好意を抱いているのも見え見えだ。紫月を突き動かすには十分過ぎる出来事だった。

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