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第128話

「……紫……っ」 「遼二、てめ……ッ、何やって……」 「う……ごくな……このまま、じっと……してろ……」 「――!?」  側では遼二によって突き飛ばされた氷川が「よっこらしょ」というように立ち上がると制服についた土埃を余裕の仕草で払いながら、ゆっくりと歩み寄って来る気配を感じた。そしてまた、頭上からの冷淡なひと言が降り注がれる―― 「ンなことして守ってるつもりか? ヘタすりゃ、てめえごとそいつもお陀仏だぜ?」  今までの薄ら笑いとは違う、ドスのきいた低い声のトーンに敗北感を痛感させられる。だがこれ以上他に方法は無いといったようにして、遼二はその場から微塵たりとも動こうとはしなかった。 「何してんだ遼ッ! どけバカッ! ……ンなことしたらてめえが……っ、てめえがイカれちまうっ!」  必死の説得の言葉が掠れて空を切る――  このままでは彼が潰されてしまう。氷川に本気の蹴りを食らったが最後、既にズタボロ状態の彼は瀕死では済まないだろう。そう思って、気が違うほどに叫んだ。 「退けっつってんだッ! 遼二ッ! 頼むからっ……! 今すぐ俺から離れろっ! どけーーーッ!」  持てる力の全てで自らに覆い被さっている彼の身体を蹴飛ばすように払い除けようとしたが、脱がされかかったズボンが脚に絡まり、邪魔をして思うようには動けない。遼二はその力ごと封じ込めるように更に体重を加えると、ますますもってガッシリと腕の中へと抱え込んできた。  その直後、彼が放ったひと言が脳裏を飛び越えて身体全体を貫くかのようにこだました。 「誰が……どくかよ……。誰がてめえに……指一本触れさせるかってんだよ……っ! お前に何かあったら……何か……されたりしたら――俺はきっと気が違っちまうだろうぜ……。お前をこいつにどうかされるくらいなら――死んだ方がマシだ」  こみ上げる万感を必死で抑えるかのようにそう云われた言葉と共に、ボロリと頬を伝った遼二の涙の雫が自らの唇へと流れ伝ってきた。 ◇    ◇    ◇  倉庫の中にひとたびの静寂が過ぎる――  氷川の靴はまだ彼の背中を踏み付けたまま動かない。一撃で終わりにできるはずなのに、まるで自分たちの会話を静かに窺っているかのように――動かないままだ。 「紫月……俺はさ、お前が大事だぜ……。紫月――お前だけが……何よりも……! この世の誰よりも、何よりも――」  そう、てめえの命よりも大事なんだぜ――?  そう言って微笑んだ。涙に濡れた漆黒の瞳がすべてを物語っていた。苦しげに掠れた吐息まじりの言葉を呟いて、そのまま唇が重ねられる――。 「……バカ……野郎、何……やってんだよ、こんな時に……お前ってホント……」  馬鹿な野郎だ――  だけどこうされてすごくうれしいと感じている自身も同じに馬鹿な奴だ。  もうどうなってもいい。例えこのまま氷川にのめされても、お前とこうしていられるのならば、どうなっても構わない気がする。  こんな時になってやっとの思いで解けた腕の拘束を振り払って、遼二の背中へとしがみついた。そのままギュッと抱き締め返して、重ね合わされていた口付けを受け入れた。むさぼるように受け入れた。  もういい、お前と一緒ならばどうなったっていい――!  そう思った次の瞬間だった。彼を踏み付けていた氷川の気配が突如としてやわらかなものに変わったのをはっきりと感じた。 「――ったく、見せ付けてくれんじゃねえかよ! お陰でこっちはすっかり萎えちまった」  呆れ気味にそう呟く氷川の顔を見上げれば、酷く嬉しそうに、そして突き抜ける青空の如く爽やかな感じで笑っていた。 「ま、お前らの痴話喧嘩も無事におさまったみてえだし? 俺はそろそろ退散さしてもらうぜ」  そして去り際にもうひと言を付け足した。 「カネ、果し合いならいつでも受けて立つぜ。その代わり――」  その代わり――? 「その代わり、そんときゃ今日みてえに一匹づつじゃなく二匹まとめてかかって来い」  ニヤリと笑みながら去って行く後ろ姿を、二人肩寄せ合って見送ったのだ。

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