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第129話

「……ったく、あの野郎……どういうつもりだってんだよ……?」  何だか狐につままれたような気分にさせられる。氷川が何をしたかったのか、それ以前に勝ちを目の前にして何故あっさりと立ち去ってしまったのかが理解できない。呆然とする遼二を横目に言った。 「最初っから何もするつもりなかったってことじゃね? それどころか、むしろ俺らの仲直りの仲裁してやったくれえに思ってっかも知れねえな。わざと俺に変態行為して、お前を挑発すんのを面白がってるみてえだったからな」 「はあ!? 何だよ、それ……! って、痛たたた……」 「おい、大丈夫かッ!?」 「ああ……平気」 「氷川の野郎、俺らが仲間割れしてんのが原因で桃陵の連中がお前を襲ったとかって、そんなこと抜かしてやがってよ。――ったく、何誤解してんだか。とんだお節介野郎じゃんか!」 「仲間割れって……」  ふっ――、と互いを見つめ合う視線の間に沈黙が流れる。一瞬途切れた会話を打ち破るかのように口を開いたのは遼二の方からだった。 「ごめんな、紫月――」 「――え?」 「やっとお前と……ちゃんとこうして向き合えた。こんとこ、ずっと……意地張ってて……悪かった」 「遼……」 「バカだよな、俺ら」 「ん、お前は何も悪くねえよ……。バカなのは……俺だ。謝んなきゃいけねえのは――素直になれなかったのは――俺ン方……だ」 「お互い様ってやつだな?」  そう言って微笑った。ズタボロで、傷だらけの彼の笑顔に心臓を鷲掴みにされた。あまりにも愛しくて、あまりにも格好良くて、高鳴り出す心拍数を抑えられなかった。もう二度と、痴話喧嘩などするものかと思った。  そして二人、見つめ合い、微笑み合い――抱き合った。固く固く、もう二度と解けないくらいに固く抱き合い――。 「遼――」 「……ん、何だ?」 「俺、今日のこと――忘れねえ……」  この先、どんなことがあっても、またしくじって喧嘩をすることがあったとしても――  ぜってー忘れねえよ――!  強く、強くそう思った。こぼれそうになる涙を必死で堪えながら心の中で誓った。生涯、この男の傍を離れない。ずっと、何があってもずっと共にいると――固く固く誓った。 ――一部始終が脳裏を巡る。  二十年という月日を飛び越えて、今ここに、あの頃を生きただろう自分たちの姿が鮮明に蘇る――  その瞬間に、紫苑の瞳からはボロボロと止め処なく涙がこぼれて落ちた。 「知ってる……思い出した……。氷川と俺とお前と……ここで――」  そう、この日のこの出来事は人生最期の瞬間にも思い出した程の大切な大切な、今生で何よりも大切な記憶であった。 (……楽しかった……よな……またやりてえな……お前……との対番……  あの……倉庫で……また……。  そうだ、今度こそ絶対に負けない。あの埠頭の、煉瓦色の倉庫でもう一度。  輝いていたあの春の日に戻って、必ず拳を交わし合おう。  次は必ず勝って、これで相子(互角)だと微笑み合おう。  氷川と俺と、そしてお前と一緒に三人でもう一度――  なあ、遼二よー――) 「ここで……お前が俺を……守ってくれた……。てめえの身体、盾にしてまで……俺を……! 嬉しかった……ぜってえ忘れねえって思った。氷川は俺たちの仲を知ってて……ヤツなりの方法で応援してくれてたんだ……。だからって俺に手ェ出すマネするなんて許せねえって、すっげえ気障野郎だって、遼はブツブツふくれてたけど……でもちゃんと分かってた。氷川が俺らを仲直りさせる為にわざとあんなことしたんだって……」  そう、忘れもしないあの初夏の日――  人生で何よりも大事で、一番嬉しくて、一等輝いていたあの日―― 「遼……、遼二……ッ、全部、全部……思い出した――」  しゃくり上げながら泣き崩れた身体ごと包み込むように、遼平は紫苑を腕の中へと引き寄せ、抱き締めた。  天高い倉庫から差し込む午後の日射しに照らされながら、それはまるで二十年という時を超えて――かの時代に舞い戻ったかのように――固く、強く、二人は抱き締め合ったのだった。 ◇    ◇    ◇

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