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第131話
「はぁ……、氷川のオッサン、マジでデートなのかな?」
だったら相手はどんな女性なのだろう、見てみたいと思う興味は拭えないようだ。ソワソワと身を乗り出し、氷川のいる窓際を気に掛ける紫苑の様子を、春日野と徳永が可笑しそうに見つめていた。
「そんなに気になるなら声掛けてくりゃいいのに」
確かにそうなのだが、今一踏み切れない心情も分からないではない。
「あ――! オッサン帰るみてえだ」
見れば、ボーイの中でも割合年かさのいっていそうな初老の男が、氷川を見送るように丁寧に頭を下げているのが垣間見えた。おそらくはここの支配人といったところだろうか。二言三言会話を交わすと、氷川はそのまま店を出て行ってしまった。
ということは、連れはいなかったということだろうか。何だかホッとするような、それでいて益々興味を煽られるような、何とも言えない気分にさせられる。こんなに混雑している人気の店に――しかも恋人やら仕事帰りの仲間内やらで混み合う時間帯に――たった一人で何をしに来ていたというのだろう、今度は別の意味で気に掛かって仕方ないといった様子の紫苑を、他の三人は半ば呆れつつも微笑ましげにしながら見つめていた。
窓の外はすっかり闇が降りて、頃は帰宅途中の人々で賑わうラッシュアワーだ。ふと目をやった先に、店から出た氷川の姿に気が付いて、四人は一斉にそちらを見やった。
「オッサンだ! こっちに気が付くかな?」
紫苑がまだ気に掛けている。だが氷川は紫苑たちのいる席とは逆の方向へと歩き出した。
「駅とは反対方向だぜ? オッサン、何処行くつもりだろ」
「氷川さんなら電車で帰るなんてことねえんじゃねえのか?」
それもそうだ。大方、迎えの車でも待っているといったところか。氷川の背中越しには駅前の待ち合わせ場所として有名な花時計が見える。
「あそこで待ち合わせなのかな」
「あの花時計、有名だよね。確か僕が生まれた直後に出来たんだよね。今年で二十年になるとかで、ここいら界隈の商店街では花時計にちなんでフラワーセールイベントとかいうのが行われるって聞いたよ」
徳永がそう言う。すると春日野が、
「以前はここ、スクランブル交差点で人通りが多くてしょっちゅう接触事故とかがあったらしいぜ。それでどこかの事業家が全額寄付してあの花時計の広場を作ったんだとか。親父たちからそう聞いた覚えがある」
そんな相槌を返し、皆で氷川の後ろ姿を目で追いながら、たわいもない会話に花を咲かせていた――その時だ。隣の席にまた一組、客が来たようだ。案内係は先程氷川を見送っていた初老の男である。黒のタキシードに蝶ネクタイをした老紳士という出で立ちからして、やはりこの店の支配人かマネージャーなのだろう、お客を案内する仕草も洗練されている。高級ホテルのレストランにいてもおかしくないようなプロといった印象だ。
「今年も食前に珈琲でよろしいでしょうか」老紳士が客にそう尋ねると、客の方も「はい、例年通りで」と答えた。
どうやら男性客の二人連れのようだが、食前に珈琲だなんて随分とまた変わった客だ。紫苑ら四人は誰もがそう思ったのか、不思議そうに互いの顔を見合わせては首を傾げてしまった。
この店の窓際の席は全て衝立のパーテーションで仕切られているので、声は聞こえるが互いの顔は見えないようになっている。
そんなことに気を取られている内に、すっかり氷川の行方を忘れていたことに気付いて、紫苑がハタと花時計の方を気に掛けた。幸いか、氷川は未だそこに佇んでいた。
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