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第133話
店のメニューには一之宮紫月が好きだった食べ物を中心に、甘党だったという彼の為に趣向を凝らしたスイーツ類もふんだんに取り入れたらしい。紫月が最後に珈琲を飲んだというこの店を、ずっと残しておきたいという氷川の願いが込められているように思えてならなかった。
「俺たちは毎年、一之宮さんの命日にここで食事をするんです。あの日、一之宮さんと会ったこの場所であの人を偲んで、あの時と同じように先ずは珈琲で献杯をすることに決めてます」
なるほど、それで食前から珈琲だったわけだ。だが、もっと驚かされたのは、氷川も同じことをしているということを聞いた時だった。
「氷川さんとは一之宮さんの葬儀の際に少し話をしただけで、それ以来直接会ったことはありませんが、毎年俺たちがここに来ると必ずあの人もいらしてるのを見掛けるんです。支配人さんに聞いた話では、一之宮さんが座った辺りの席で一之宮さんと同じように珈琲に砂糖をたくさん入れて飲むんだそうです。普段はブラック党の氷川さんが――って、支配人さんがおっしゃってました」
氷川はそうしてこの店で珈琲を味わうと、花時計の所へ行って手を合わせるのだそうだ。あの日から二十年間、どんなに忙しくとも、一度も欠かしたことはないという。とすれば、先程氷川が花時計の所で立っていたのは、一之宮紫月を偲んでいたということなのだろう。ふと窓の外を見やれば、もうそこに氷川の姿はなかった。
◇ ◇ ◇
食事を終えた後、遼平と紫苑、春日野と徳永の四人は花時計の前で手を合わせていた。四人が生まれた時には既にこの花時計は完成していたから、誰にとっても昔からそこにあるのが当たり前の場所だ。先程の二人から経緯を聞くまでは、特に気に掛けたことすらない程に馴染んだ街の光景の一つだった。
二十年前には、ここがどのような交差点だったのか四人とも知らないわけだが、今は花時計を囲むように円形のちょっとした広場となっていて、所々に洒落た感じのベンチが配置されている。デートなどの待ち合わせ場所としても有名である。
昼間に事務所社長の帝斗が連れて行ってくれた埠頭の倉庫街のこと、そしてこの花時計に先程食事をしたレストラン――、それらにまつわる経緯を見聞きし、目の当たりにして、氷川がどんな思いでこの二十年を過ごしてきたのかを思う。きっと想像を遙かに超えるような友情、愛情がそこにはあったのだろうと思えた。
鐘崎遼二と一之宮紫月、そして氷川が過ごしただろう遠い日に思いを馳せれば、胸を鷲掴みにされるような切なさがこみ上げる――
「なぁ、遼平――」
「ん? 何だ」
「俺さ、今なら歌えるような気がするんだ。オッサンの書いてくれた曲、今なら……」
早春の空に浮かぶ月を見上げながら紫苑が呟いた。その瞳の中に一杯に溜まった涙の雫がこぼれないようにと空を仰ぐ――そんな彼を包み込むように、遼平は後方から両腕で抱き締めた。
「プロモ、俺たちの今の気持ちを目一杯込めて作ろうな。氷川さんの二十年分の思いに比べたら全然足りねえけど――俺たちの感謝の気持ちを込めて、精一杯」
「ん……うん」
鼻を真っ赤にしながら紫苑が微笑む。そんな二人を見つめながら、春日野は隣に佇む徳永の手を取り、そっと繋いだ。
今、こうして当たり前のように一緒にいられるということが、改めてものすごい奇跡のように思えて感謝の気持ちが湧き上がる。
月明かりは四人を見守るかのように、やわらかな光を放つ――そんな三月初旬の夜だった。
◇ ◇ ◇
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