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第142話
氷川は相変わらずに多企業の経営をも見つつ、プロデュース業にもますます意気込みを見せている。それを支える帝斗や倫周も生き生きと輝いていた。
「お疲れさん! どうだい、一緒に昼飯でも?」
音楽事務所がある自社ビルのロビーで、帝斗が氷川と肩を並べて歩いていた。方々から「おはようございます、社長」「お疲れ様です」と、声が掛かり、そんな中でも氷川は例の如く仏頂面がお決まりのパターンなので、軽く会釈を返すだけだ。帝斗は「ああ、お疲れさん」などとにこやかにしている。これも見慣れたいつもの風景である。
ふと、受付の前を通り掛かったところで、氷川はハタと足を止めた。何となくどこかで見たような顔を見つけた気がしたのだ。
よくよく見れば、どうやらバイク便の配達に来た若者のようだ。氷川がしきじきと見つめていると、先方もこちらに気が付いたのか、ペコリと頭を下げながら駆け寄ってきた。その顔を確認するなり、氷川は少々驚いたように瞳を見開いた。
「お前、確か――」
「ご無沙汰しています!」
氷川の前で深々と頭を下げた男は、僅か照れ臭そうにしながら微笑んでみせた。
「思い出した。前に倉庫で会ったやんちゃ坊主じゃねえか――!」
そうである。彼は遼平と紫苑と春日野が巻き込まれた、例の乱闘騒ぎのあった倉庫で出会った若者の一人だったのだ。確か、バイクで氷川に突っ込んできた男である。氷川に捉えられた後も、自分の身よりも転倒させられたバイクの傷を気に掛けていた程のこの男のことを、氷川は独特な印象として覚えていたのだった。
「お前が配達してくれたわけか?」
「はい! 俺、やっぱバイクっきゃ脳が無えッスから。でも……楽しいッス! 好きなバイクに乗ってられて幸せッス!」
以前のことが後ろめたいのか、バツの悪そうにポリポリと頭を掻きながらも嬉しそうである。きっとあの後、ブラブラと当てもなくしていたのを改めて、この職に就いたのだろう。清々しげな笑顔でそう言う彼に、氷川は思いきり瞳を細めた。
「そうか。頑張ってるんだな」
「はい、あの……その……あなたのお陰ッス。あの時、アンタに出会ってなかったら……俺、未だにフラフラしてたと思います」
感謝してます――そんな思いを今一度の深々としたお辞儀に代えた彼に、心の温まる思いがしていた。
「それじゃ……! 失礼します!」
元気よく敬礼して走り出した彼を、「おい、待て――」氷川は思わず引き留めた。
「はい……?」
「本当は昼飯でも一緒にしたいところだが、お前も忙しいんだろう?」
「え!? ええ、はい……。まだこの後も配達が山積みなんス!」
思いがけない誘いに彼は相当驚いたようである。
「そうか――。じゃあ、気持ちばかりだがこれで昼飯でも食ってくれ」
氷川は彼の手を取ると、労いの気持ちに代えてチップを差し出した。彼はますます驚きに目をグリグリとさせている。
「……え、でもそんな……申し訳ないッス」
戸惑いと遠慮からか、なかなか受け取ろうとしない彼に、横から帝斗がやわらかに口添えした。
「どうか受け取ってやっておくれ。こいつもなかなかに人見知りだから、今キミにこうして声を掛けたのだって精一杯なんだぜ?」
まるでウィンクをするようにそう促す。氷川の方は図星を突かれた感じでタジタジだ。
「そうッスか……じゃあ、遠慮なくいただいてきます!」
彼は頬を染めると、とびきりの笑顔と共に今一度ペコリと頭を下げて去って行った。
「彼も自分の行く道を見つけたようだね。良かったね」
帝斗が微笑ましげに言う。元気に駆けていく彼の後ろ姿を見送りながら、あの倉庫で見た時からは見違えるように生き生きとしている様を、二人安堵の思いで見つめていた。
ふと、後方から明るい声が言った。
「相変わらずカッコいいっすね、氷川さん!」
「つか、気障ッスよね?」
振り返れば、そこには遼平と紫苑の二人がニヤリと嬉しそうな笑顔を見せながら佇んでいた。
「これから昼飯行くんスか?」
「俺らも一緒にいいですか?」
揃ってそんなことを言う。
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