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着替え終えた狗神が隣に腰かけて俺の顔をじっと見つめてくる。これは名前を付けないと納得しないような気がする。けど
「…………それは、普段から、呼ぶとか、そういう、愛称みたいなものじゃなくて?」
「じゃなくて」
いつになく真剣なまなざしだ。
狗神が言うには、俺が狗神の名前を決めたら、契約になるのだと。でも、狗神に関わってしまった以上はある程度の危険が伴うから、守るためにも。
「それを決めたら、俺はどうにかなるのか?」
「……俺と、一緒に生きて、一緒に死ぬことになる」
「――――――――……待って。そんな壮大な感じなの?それを今?今決めろって?俺に?」
「俺は美琴が好きやし、欲しいし、守りたい。だから、全部。全部やるから美琴が欲しい」
大きな我儘じゃないか。結局狗神は自分の望みをかなえたいだけじゃないのか。俺はそれにただ利用されるだけなんじゃないのか。大体、好きってなんだ。俺を好きなる要素なんて何があるって言うんだ。
「……………美琴」
「狗神は、俺を、どうしたいわけ」
「心が欲しい」
「………………………それで、体から落とせばいいって?」
「心を奪うには体が先だって、」
「それは誰に言われたの」
「百目鬼」
また知らない名前が出てきて混乱してきた。頭を抱えそうな俺の顔を覗き込んで、狗神は不思議そうな顔をした。
「あのさ、…………なんていうか、俺、なんで狗神に好かれてるの?ただお前を拾った、だけでさ、そんな感謝はされても好きになられるような事、してないよな?」
「誰かを好きになるのに、そんな御大層な理由がいるん?好きやと思ったから好きやし、傍に居たいと思ったから傍におる。それの何が疑問?」
狗神は俺の顔を包むように両手で頬を撫でると、名前、とまた言葉を吐いた。
「名前、ね」
◆◆
しばらく考える。そう答えてから少し。秋から本格的に冬に移りそうな十一月の中旬、朝会社に行くと一通の封筒がデスクに置いてあった。そういえば前にもあったけど、すっかり忘れていた。あの封筒に入っていた地図の場所は狗神が昔住んでいた場所だと言っていたっけ。
「春日井美琴様、か。前と同じだな」
びりびりと封筒を破ると、また一枚のはがきが入っていた。今度も地図だ。しかも、赤い点がしてある場所、今度は恐ろしいほどわかりやすい場所だった。
「…………………………なんで」
その地図が示していたのは、俺の住んでるアパートだった。
少しだけ気味が悪い。だって、誰が置いていったのかわからない封筒の中に入ってるのが地図で、しかも俺の自宅。さすがに危機感を覚えた。なんだか嫌な予感がして、封筒を手に職場を後にしようと歩き出した。いつも通りの時間に来たはずなのに、誰にもすれ違わなかった。受付にも人はいないし、そもそも人の気配がない。
職場の出入り口に手をかけると、ガチャン、と背後で音がして大げさに体がはねる。
「―――――っ」
ゆるゆると振り向くと、そこには見知った人が立っていた。
「先輩…?」
神足 巴先輩が。俺が声をかけると、おはようと返ってくる。でも、様子がおかしくて、俺は一歩後ずさった。受付のカウンターに座る先輩は、いつもと雰囲気が違うし、何よりいつもなら黒い髪が、赤い。それは血の様に真っ赤だ。そしてその手には、刃物が握られている。
「………なに、してるんですか。先輩」
「お前を待ってたんだよ」
「俺?」
「そう。お前」
先輩がにっこり笑って、刃物をゆらゆらと揺らす。俺はまた一歩後ずさった。
「はがき見なかったのか?」
「は?え?」
「だから、はがき。俺が丁寧に嘘までついて女からって言ったのに、なんで見ないの」
「先輩?」
「なんで?」
背筋に嫌な汗が伝って、また一歩後ずさった。扉が背に当たり、「ギ」とわずかに音を立てて動く。
「先輩、さっきから何を言ってるんですか」
逃げなくちゃ、いけない。そのすきを窺うように先輩を見つめた。確かに真っ赤な髪。表情はよく見えないけど、いつものにこやかな先輩とは全然違う。
正直、怖いと思った。先輩の手に光る銀色の刃物が揺れて、俺は全身に寒気が走るのが分かる。
「なに?何ってこっちが言いたいなぁ。折角お前を殺して、あの犬を始末できると思ったのに」
―――――殺して?
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